すべての芸人が最初からその道を簡単に決断できたわけではありません。サラリーマンとして一度は就職の道を選びながらも紆余曲折を経て、お笑い芸人の夢を実現した人たちもいます。ミキの三木亜生、サンドウィッチマンの伊達みきお、TIMのレッド吉田の3人が自身の仕事と人生を振り返り、熱く語ります。
■「『ちょっとだけ、芸人をやりたいなぁって思ってる』って父親に言ったら、『お前がやりたいと思うことやれ』って言ってくれたんです。『30までやったら、何やっても取り返しつくから』って」(ミキ 三木亜生)
母の反対を押してまで芸人になる覚悟のなかった亜生は、再び就職活動をして、人気アパレルショップ「ベイクルーズ」に内定が決まる。そこで最初の体験研修も受け、後は書類に正式なサインをするだけとなった。そのときのことを亜生は語る。
「ちゃうちゃうちゃうちゃう。ちゃうけどもう内定断れへんやん。で、あーもうちゃうちゃうちゃうちゃうってなって、『コレ、入社の手続きです』と紙を渡されたときに、あぁもうこれ無理や。やめようと。家に帰って母親に言いました。『ごめん。俺芸人になりたいねん』って」
こうして、亜生は内定を断り、翌日大阪の兄のもとへ向かう。
女性に圧倒的な人気を誇るのが弟の亜生。当初イルカの調教師を目指していた彼は、大学卒業後介護の会社に就職し、シルバー世代にも人気者だったのだとか。しかし、一体何がどうして「イルカの調教師→介護職→漫才師」となったのでしょうか。
もっと詳しく知りたい方はコチラ>>ミキ・三木亜生、夢の漫才師になるまでの語られなかった真実
■「どんなに生活が苦しくても、前の人生を振り返らないようにしていました。でもそれはひとりだったらできたかどうかわかりませんね。2人でいたからこそ、夢を語り合え、支え合えた。お互いの存在が大きかったと思います。」(サンドウィッチマン 伊達みきお)
「ことあるごとに富澤はラブコールをくれていたんですが、ボクは仕事に一生懸命でそれどころじゃなかったですね。新しいエリアを任されたばかりで、その仕事を放り出すわけにはいかないし……。
それよりも専門学校を3か月で辞めてる人間が、今度はコネで入れてもらった会社を2年経たずに辞めますなんて、オヤジにはとても言えませんでした」
高校卒業後、介護に従事しやりがいのある仕事を手にして、将来安泰な職場を見つけたにもかかわらず、なぜ茨の道を進んだのか。人生の分岐点で“逆の選択”をした理由と40代からの人生を、伊達みきおが熱く語ります。
もっと詳しく知りたい方はコチラ>>人生は儚く、短い。サンドウィッチマン伊達みきおをお笑いへと導いた介護の日々
■「子どもたちの背中を押し、ケツを叩いているのに、自分がやらないのはおかしいですよね。今年は長男がアメリカに行って、チャレンジングな人生を歩んでいる。素直に『格好良いな』と思ったんです。俺も頑張らなければ」(TIM レッド吉田)
「大学まで行かせた自分の子どもが、わずか1年で先の見通しもなく会社を辞めたいと言ったら、普通止めますよね(笑)。『ちょっと待て。人生そんなに甘くない。まずは3年頑張ってから考えろ』って俺なら言いますよ。
でも自分のおふくろは『やりたいことがあるなら何でもやりなさい』と言ってくれました。ある意味、アホな両親です(笑)。ありがたいです」と笑う。
甲子園の地を踏みプロ野球選手を夢見ながら、大学へ進学し商社に就職。ごく普通の人生を歩むと思われたその1年後、人生は180度変わり、お笑いの道へ。一体、レッド吉田に何があったのでしょうか。
もっと詳しく知りたい方はコチラ>>「お父さんはM-1出ないの?」追い込まれたレッド吉田52歳