節分に恵方巻きを食べる人の割合が微減傾向にあることが、食品メーカーの調査で分かったという話題。スーパーやコンビニの恵方巻商戦は年々過熱する一方で、過剰供給による廃棄問題も深刻になっています。そもそもなぜ節分に恵方巻を食べるのか、そのルーツについて正しく知っていますか。SNSでは「大阪の遊女遊びが由来」という話がまことしやかに噂されていますが、本当なのでしょうか。国内外の食文化に詳しいフードアクティビストの松浦達也さんにお話を聞いてみました。
過去の文献や民俗学の論文をひもといてみると、恵方巻の由来については諸説あることがわかります。
① 大阪船場で商売繁盛、無病息災を願ったのが始まりという説。
② 節分の頃は新しい香の物が浸かる時期で、江戸時代中期、香の物入りの巻きずしを切らずに丸のまま恵方を向いて食べた。これが後に節分の風習として定着したという説。
③ 船場の旦那衆が節分の日、遊女に巻きずしを丸かぶりさせてお大尽遊びをしていたことに端を発するという説。
この他にもさまざまな説があるのだそう。 松浦さんによると、起源と言われる江戸末期や明治時代当時の資料は確定できず。昭和初期になると資料も確認されるようになりますが、多くは巻き寿司を売りたい業界側の口伝やチラシが発端である場合が多いのだとか。当時、実際にどの程度、食べられていたか、浸透していたかははっきりしません。発祥とされる大阪でも何度かの浮沈を経て、1970年代頃から知られるようになっていったのだそうです。そんな大阪での巻きずし販売の歴史をたどってみると、
1951年 大阪海苔問屋協同組合が結成されるのと同時に「巻きずしの丸かぶり」の宣伝を行う。
1976年 大阪道頓堀で「節分チャリティーセール」という丸かぶり早食い競争イベントが行われる。主催は海苔販売業者を中心に組織された団体。当時は海苔の消費量に対して生産量が伸びていて、消費促進施策が求められていた。
1989年 セブンイレブンの個人オーナーの提案により商品化。徐々に販売圏広がる。
1998年 セブンイレブンが「丸かぶり寿司 恵方巻」という商品名で全国販売へ。
…といった流れになるそうですが、そもそも民俗学的な研究がスタートしたのが1990年頃なので大正以前の紙資料が確認するのが困難だという松浦さん。現時点で諸説の「有無」について議論すること自体に疑問を感じているようです。
要するに、恵方巻の諸説ある由来は「うなぎ」を巡るさまざまな都市伝説と似たようなものと考えていいかと思います。「土用の丑のうなぎ」のようにその背景に思いを馳せ、「節分の頃って、確かに漬け物がおいしくなるよね。それが恵方巻きの由来かは知らんけど」というように、関西一流の「知らんけど文化」を盛り込みながら漬け物のように確かにそこに存在した食文化を織り交ぜていくのがいいのかもしれません。
だいたい証拠がないのですから、真贋など誰にも証明できません。目を三角にして「あった」「ない」と言い争うより口伝のように黙って「丸」かぶりするくらいがいいのではないでしょうか。
同じ「おすし」として、その起源がより伝説的な「初午のいなり寿司」や生活習慣に由来すると言われる「ひな祭りのちらし寿司」にももっと光があたってもいいのではとも考えている松浦さん。正しい都市伝説を目くじら立てて追求するよりも、季節の食文化を美味しく楽しみ、おおらかに見守るくらいがいいのかもしれませんね。
<参考文献>
沓沢博行「現代人における年中行事と見出される意味 ―恵方巻を事例として―」
『比較民族研究』2009/大阪歴史博物館ホームページほか