日産スカイラインのマイナーチェンジが話題になっている。新聞やテレビでは高速道路でのハンズオフ、つまり手放し運転を可能にした運転支援技術のプロパイロット2を取り上げているが、それ以外にも激変したデザイン、400ps以上を発生するエンジンなど、たしかにニュースに事欠かない。
でもマイナーチェンジがここまで話題になるのは、スカイラインが1957年デビューという歴史の長さとスポーティなイメージゆえ、半世紀以上も日本のクルマ好きにとって気になる存在であり続けたことも大きいだろう。
今年62歳を迎えるスカイラインは、同じロングセラー国産乗用車であるトヨタ・クラウンと比べると、波瀾万丈の半生を過ごしてきた。
そもそもスカイラインは最初から日産車だったわけではない。1957年に登場したときはプリンスというブランドだった。2代目は1.5リッター直列4気筒エンジンを積んでいたノーズを伸ばして2リッター直列6気筒を積み、レースで1周だけではあるがポルシェの前を走った。ここで走りのイメージが決定的になった。
プリンスは経営面では順調ではなく、1966年に日産と合併。スカイラインは日産車になったわけだが、3年後に3代目、通称「ハコスカ」をベースに登場した最初のGT-Rは、プリンスがレーシングカーR380のために設計したエンジンを公道向けに仕立て直したS20型を積んでいた。
デザインでは2代目で初採用した丸型テールランプ、3代目で導入したリアフェンダーのサーフィンラインなどディテールに特徴があり、スカイラインらしさとして知られるようになった。
GT-Rは4年後、排出ガス規制が原因で生産を終了するが、そのあたりから日産は若い男女をテレビCMに起用してソフト路線に転換。CMに登場したカップルの名前を取って「ケンメリ」と呼ばれた4代目は、歴代最高の販売台数を記録した。
■「こんなのはスカイラインじゃない」
排出ガス規制が一段落した1980年代になると、RSやGTS-Rなどの高性能車種が復活。その発展形が1989年、16年ぶりに復活したGT-Rで、レースでは連戦連勝の活躍をした。しかしバブル景気が弾けると日産は経営危機となり、ルノーとアライアンスを組むことになる。
ここでスカイラインは、日産がプレミアムブランドとして海外展開していたインフィニティの車種と共通となり、GT-Rは独立した。そこにはサーフィンラインはなかったが、走りは欧州のプレミアムブランドに匹敵するレベルに向上。スポーティセダンの進化として納得の方向性だった。
ところが2014年発表の現行型には日産ではなく、インフィニティのエンブレムを装着していた。当初はハイブリッドだけで、上級グレードの価格は500万円を超えた。遅れて追加されたエントリーモデルのエンジンは、アライアンスを組んでいるダイムラーから供給された2リッター直列4気筒ターボだった。
「こんなのはスカイラインじゃない」と思った人がいても不思議ではなく、販売は低迷。その後カルロス・ゴーン前会長の逮捕劇があり、ライバル関係にあったトヨタ・マークXは今年で販売終了と発表。スカイラインの今後が危ぶまれた。
それだけに今回、予想以上のテコ入れがなされたのは驚きだった。しかもインフィニティに代えて日産のVモーショングリルを装着し、ガソリンエンジンには北米などに投入していた自社開発の3リッターV6ツインターボを導入した。
ケンメリが現役だった頃、20歳だった人も今や60代。なので運転支援システムの充実は納得できる。それよりもオーバー400psの3リッターV6エンジンを搭載した400Rが気になる。
BMWで言えばM、メルセデス・ベンツで言えばAMGに相当する高性能が、それらの約半額で手に入る。しかも見た目は他のスカイラインとほぼ同じ。「羊の皮を被った狼」というフレーズを思い出した。そう、かつてスカイラインの形容詞として使われた言葉だ。
今回のマイナーチェンジ、今の日産の状況を考えれば頑張ったと思う。洗練されきっていないところもまたスカイラインっぽい。この半年あまり、本業とは関係ないところで騒がしかった日産だけれど、らしさは失っていなかったようでホッとした。