■味噌を作る際に出た汁が、醤油のもと!?
日本で発展してきた醤油ですが、その源流には中国の「醤(ジャン)」があります。醤が記載された最古の文献は、紀元前11世紀頃に書かれたとされる中国の古書『周礼』だといわれており、人々は太古の昔から食物を塩に漬け込み、発酵や熟成をさせて利用していたのですね。
また、よりはっきりと醤油の元になったと考えられているのが「溜(たまり)」という調味料です。これは、鎌倉時代に宋へと渡って修行した禅僧・覚心が、その製法を持ち帰った「径山寺(金山寺)味噌」から生まれたといわれています。
野菜を漬け込んだなめ味噌の一種である径山寺味噌は、多くの水分を含んでいたようで、これを製造する際には、桶の底に分離した汁が沈殿したり、桶の上澄みに汁が出てきたりしていたそう。この汁を舐めてみたところ非常においしく、さらに、食べ物を煮てもおいしいということが発見され、調味料として使うようになったとのこと。
こうして、もともとは味噌から作られた調味料が発展し、醤油となっていったと考えられているそうです。
■あのルイ14世も醤油を味わっていた!?
室町時代の中期頃になると、醤油は家庭料理に使われるまで広まっていたといわれています。江戸時代には工業的に製造・販売されるようになり、どうやら人々の暮らしが豊かになっていくとともに、醤油の需要も増えていったようです。
この頃にはさらに、日本の醤油が海外へ輸出されるようにもなっていました。世界とつながる唯一の窓口だった長崎から、船によって運び出された醤油は、中国やインド、東南アジアにとどまらず、オランダ本国でも使われていたのだとか。
長い船旅で劣化しないように、当時のオランダ人たちは、一度醤油を煮沸させてから瓶詰めし、栓の上からコールタールを塗っていたとのこと。こうした工夫の末に西欧まで送り届けられた醤油は、その品質を高く評価されていたようで、「日本の醤油は優れている」といった内容の記述が、数々の文献に残っているそうです。
オランダ人によってもたらされた日本の醤油は、貴重品として高値で取引され、ヨーロッパ内に広まっていたといいます。当時の様子を表すように、美食家として知られていたフランス国王・ルイ14世の宮廷料理に、醤油が隠し味として使われていたという説が、現代にまで伝わっているんですよ。