※このコラムはネタバレを含んでいます。
■『逆シャア』のラストで消息不明となったアムロとシャア
筆者はガンダムファンで、『機動戦士ガンダム』シリーズの生みの親である富野由悠季監督に、3度インタビューさせていただいたこともあります。
そんな筆者にとって富野監督作品『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(以下『逆シャア』)は、『機動戦士ガンダム』シリーズのなかでもかなり上位にくるほど愛してやまない作品なんです。
特に好きなのは、初代『機動戦士ガンダム』からの宿命のライバルだったアムロ・レイとシャア・アズナブルが激闘の末、消息不明となるラストシーン。アムロとシャアは死んでしまったのか? それともどこかで生き延びているのか? ――その“観た人それぞれの解釈に委ねる”という形の終幕が、筆者はたまらなく好きだったのです。
この戦いでアムロとシャアは生死不明となっているため、作中の時系列的に『逆シャア』以後の作品には、“基本的”にはアムロもシャアも登場しません。……が、『逆シャア』の3年後を描いた『機動戦士ガンダムUC』(以下『UC』)のとあるシーンが、筆者は納得がいかないのです!!
■『UC』最終話にて精神体で登場したアムロとシャア
『UC』の最終話(第7話)に、アムロとシャア、そしてララァ・スン(一年戦争中にシャアとアムロの戦いに巻き込まれ戦死してしまった少女)が精神体となって登場するのです……!!
まずララァの精神体が「この熱が宇宙を温めるのでしょう?」と喋り、シャアの精神体が「潮時か…」と呟きます。それに呼応するように再びララァの精神体が「大佐が“大佐だったときの想い”は、充分に伝わったでしょうから」と語るのです。
また、その後のシーンでは、アムロの精神体が「もういいのか?」と尋ねると、それにシャアの精神体が「あとは彼らに任せよう」と応じ、ララァの精神体が「ウフフフフ」と笑います。
さて、ララァは『機動戦士ガンダム』で明確に死亡シーンが描かれています。そんなララァの精神体と横並びでアムロとシャアの精神体も登場したのです。
……これ、もう死亡確定ってことじゃないですか!?!?
もう一度言いますが、富野監督が手掛けた『逆シャア』では、アムロとシャアは消息不明で、あえて二人の生死ははっきり描かれていませんでした。にもかかわらず、富野監督が携わっていない『UC』で、そんな死亡確定(?)を思わせるシーンをブッ込んできたのです……。
もちろん、アムロとシャアは生きていて、生霊のように精神体だけを飛ばしたという可能性(見解)もあります。また、公式設定では今でもあくまで生死不明という扱いになっています。
でも、普通にその演出の“文脈”から解釈したら、ララァ同様、シャアもアムロも死んでいたって思いますよね!?
あくまで筆者の独断の考察からの個人的な見解ではありますが、ファンの間で語り草となっているほど伝説化している『逆シャア』のラストを、ぶっちゃけ汚されたような気分がしてなりませんでした!!(※本当に個人的な感想です!!)
『UC』は作画のクオリティが高くストーリーも面白かったですし、宇宙世紀サーガをリスタートさせてくれたという意味でも、とても大好きな作品です。だからこそ、あのアムロとシャアの精神体登場には苦言を呈したくもなってしまうのです……。