今やラーメンのジャンルのひとつとして世界に名を馳せる“家系ラーメン”ですが、その歴史は横浜のラーメン屋「吉村家」から始まっているのです。今回は、家系ラーメンの父と言われる吉村家の誕生の秘密と歴史をご紹介します。
■トラック運転手だった創業者・吉村実さん。斬新なラーメンをひらめき脱サラ
吉村家の創業者で現会長の吉村実さん。彼はもともと飲食業界に身を置いていたわけではなく、トラックの運転手や左官業などの仕事をしていました。トラックの運転手として全国のラーメン店を訪ねているうちに “東京のしょうゆ味と九州の豚骨味を融合させた新しいラーメンを作ったら美味しいのではないか” とひらめき、脱サラ。
退職金として受け取った80万円と友人らから借りた資金で、1974年に横浜市磯子区に「吉村家」をオープンさせました。当時、朝から営業しているラーメン屋は珍しかったそうですが、吉村家は毎朝5時から営業していたといいます。
横浜市磯子区周辺は工場が立ち並ぶエリアだったため、周辺の労働者やトラック運転手の間でたちまち吉村家の評判は広まりました。さらに当時はラーメンブームで、マスコミもこぞってラーメン店を取り上げるという追い風が吹いていました。そんな背景から、吉村家の名は広く知られることになったのです。
■弟子が独立開業! “家系ラーメン” が新ジャンルとして確立
吉村家は1999年まで、横浜市磯子区で営業。吉村家の味に惚れ込んだ多くの見習いが吉村さんに弟子入りしました。やがて弟子たちは独立開業し、吉村さん直伝のラーメンの味を各地に広めていったといいます。
そんな彼らの多くが吉村家に倣って「○○家」と店名をつけていたことから、吉村さんが生み出したしょうゆ豚骨の味は “家系ラーメン” として知られるようになり、新たなジャンルを確立させました。
1999年に吉村家は横浜駅に移転。横浜駅での営業は、吉村さんの長年の夢だったのだそう。筆者は横浜の出身であり、吉村家の前を通る機会も多いのですが、昼も夜も長蛇の列ができています。開業から今年で46年。その間行列を作り続けてきた吉村家に歴史ありですね。