【衝撃】「餃子の王将」と「大阪王将」実はもともと同じ店だった!? 兄弟喧嘩が裁判沙汰にまで発展!

コラム

 

2020年3月31日現在、全国に523店舗を展開する中華料理チェーン店「餃子の王将」。“王将”の略称で親しまれていますが、街を見渡せば「大阪王将」という別のお店も見つかりますよね。実はこの2店、もともと同じ店だったことをご存知ですか?

 

 

■「餃子の王将」創業者の親族が大阪に出店! 「餃子の王将」を名乗っていた

 

1967年に京都府・四条大宮に第1号店をオープンさせた餃子の王将。無料券の配布と“餃子を10人前食べたらタダ”という革新的なサービスで、その名を世に広めました。その後、餃子の王将は京都市内を中心に店舗を増やしていきます。


    
そんななかで、創業者・加藤朝雄さんの親族である文野新造さんが“大阪を拠点として出店したい”と申し出、のれん分けという形で独立。1969年、大阪の京橋に一号店を開店させたのが現・大阪王将です。しかし、当時は全く同じ“餃子の王将”という店名を名乗っていました。こちらの店舗も連日若者たちで大盛況だったそうです。

 

そして、餃子の王将は1974年に資本金500万円で「株式会社王将チェーン」を設立。改めて「早く、おいしく、安く」を営業方針に掲げます。一方で、現・大阪王将も1977年に「大阪王将食品株式会社」(現・イートアンド株式会社)を立ち上げました。この時点で、完全に経営は分離していたことが分かります。

 

 

■現・大阪王将が京都にまで勢力を拡大、店舗の名称をめぐり裁判沙汰に……!

 

しかし、勢いづいた現・大阪王将は1980年代に入ると総店舗数100店舗を突破。餃子の王将の営業区域である京都にも出店し始めました。餃子の王将にとっては、のれん分け企業がこれほど店舗を拡大させてくるとは思いもよらなかったのでしょう。

 

そして、ついに名称を巡って裁判が起こり、「餃子の王将」と「大阪王将」で店名を分けるということで1985年に和解が成立しました。現在はともに全国的に店舗を展開し、独自の魅力にも磨きがかかっている餃子の王将と大阪王将。

 

2003年に大阪王将は関東に進出し、翌年、工場を設けています。2019年には関東第二工場を完成させ、関東でも勢力を拡大。現在、東京都内に53店舗を展開しています。関東で“王将”といえばこれまで餃子の王将のイメージが強かった印象ですが、近年は大阪王将の知名度もじわじわアップ中。餃子の王将と大阪王将の関係性を知った上で食べ比べてみるのも、楽しいかもしれませんね。