※注意※
本コラムは『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のネタバレがあります。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』をすでに鑑賞済であることを前提に執筆しておりますので、未見で作品の内容を知りたくないという方は読まないでください。
3月8日にとうとう公開されたシリーズ完結編『シン・エヴァンゲリオン劇場版』。本コラムでは“ネタバレあり”で考察させていただきますので、未見の方はご注意ください。今回は本作が“浄化”と“救済”の物語であるということについて語ります。
■メタ的な視点でもキャラを救済した
※注意※
ここからはネタバレが含まれます。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は“浄化”と“救済”の物語である――と筆者は感じました。
最終的に碇シンジが誰かに救われたというよりも、シンジが綾波レイ、式波・アスカ・ラングレー、碇ゲンドウ、渚カヲルらの心を救済する側だったことは正直、かなりの驚き。
まず本作内でのシンジの心の成長・成熟が凄まじかったのですが、しかし強引な展開ではなく、とても繊細に、じっくりとシンジが立ち直る様を描いていたことに好感を抱きました。
シンジに寄り添おうとするアヤナミレイ(仮称)、表面的にはシンジを突き放しながら見守るアスカ、そして大きな器と温かさでシンジを包み込んだ鈴原トウジと相田ケンスケ。また、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』では拒絶していたかに見えた葛城ミサトも、実はシンジのことを想い、信頼してくれていたことがわかったのです。
荒みきっていたシンジの心はレイ、アスカ、トウジ、ケンスケ、ミサトらに触れることで浄化されていく――その様子をとても丁寧に描いており、納得のいくものでした。
そして、精神が浄化され、急激に成長したシンジが行ったのが、周囲の人々の救済だったのです。
これまでのシンジのキャラクター的に考えれば、レイやアスカを救おうとすることは自然な流れでしょう。シンジが父であるゲンドウも受け入れるように理解し、ある意味で許しを与え、救済したことには驚きましたが、物語の展開としては必然だったと思います。
しかし、筆者が一番度肝を抜かれたのは、シンジがカヲルをも救済したことでした。
常に達観しており、なんでもお見通しといった言動ばかりだったカヲルは、これまではシンジを救う側。実際、『:Q』に登場していたカヲルは、シンジの幸せを願い、尽力していました。
そんなカヲルさえ、今回のシンジは救済してみせたのです。
ともすれば神のような視点で物語に関与していたカヲルもシンジによって救われる様は、圧倒的に予想外であり、鳥肌ものの感動を覚えたものです。
しかもその救済劇は、劇中の人物たちを救うという意味ももちろんありますが、メタ的な視点もあったように感じました。
四半世紀も前の1995年、『新世紀エヴァンゲリオン』という作品によって生み出されたキャラクターたち。極論で言えば、現実には存在しないフィクションの中の人間たちが、どんなに不幸になっても問題はありません。
『エヴァンゲリオン』シリーズに限らず、作品のテーマやストーリーの都合上、さまざまな映画やドラマやアニメで理不尽なまでに残酷な結末を迎えるキャラは多々いました。実際、これまでのシンジ、レイ、アスカたちは、キャラクターとしても救われない・報われないことが多かった……。
ですが、この『シン・エヴァンゲリオン劇場版』という作品は、キャラクターとしてのシンジ、レイ、アスカ、ゲンドウ、カヲルにもきちんと“幸せ”を与え、救済したように感じます。
勝手な解釈かもしれませんが、庵野秀明総監督からキャラクターたちへの愛情と敬意が、そこにはあったように思えました。