※注意※
本コラムは『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のネタバレがあります。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』をすでに鑑賞済であることを前提に執筆しておりますので、未見で作品の内容を知りたくないという方は読まないでください。
3月8日にとうとう公開されたシリーズ完結編『シン・エヴァンゲリオン劇場版』。本コラムでは“ネタバレあり”で考察させていただきますので、未見の方はご注意ください。今回は本作における“子供”とは? “大人”とは? を語ります。
■自分を大人だと思い込んでいる子供
※注意※
ここからはネタバレが含まれます。
結論から言って、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』という作品は、碇ゲンドウがただただ子供だったということが判明した物語だったように思います。
世界を巻き込み破滅寸前に追いやったゲンドウの動機は、好きな女(妻・碇ユイ)ともう一度一緒になること。
動機がこのごくごく自己中心的なものであることは、旧シリーズ(テレビ版&旧劇場版)からわかっていたことではあります。が、今回の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』ではゲンドウの内面が生々しく描写され、本音が吐露されていたため、より一層ゲンドウという人間の利己性や傲慢さが際立って見えたのです。
ゲンドウは、子供は嫌いという趣旨の発言をしていますが、筆者は正直、“お前が一番子供だよ!”と心の中でツッコんでしまったほど。
本作の後半では碇シンジの精神的成長が著しく、綾波レイ、式波・アスカ・ラングレー、渚カヲル、そしてゲンドウの心さえも救済していきます。14歳でありながらこのときのシンジはかなり達観していて、とても大人的。
そのため、ゲンドウの幼稚性が際立ってしまう……。
ガキだったシンジが精神的に成熟して大人になり、大人ぶっていたゲンドウがただのガキだったことが明るみに出ます。シンジはきちんと大人になれたけれど、ゲンドウはどんなに歳を取っても大人にはなれなかったのです。
ゲンドウの周囲の人々は、彼が偏屈な人物であることは知っていたとは思いますが、ネルフの総司令という肩書きがあったため、“大人”と見なしていたのでしょう。
でも、肩書が偉ければ“大人”なわけでもなく、仕事がデキるから“大人”なわけでもなく、知識豊富で頭がいいから“大人”というわけでもありません。我々が生きている現実の社会でも、エリートで仕事ができて立派な肩書きもあるけれど、中身(精神性)はただの“子供”という人は、案外多いもの。
ゲンドウは偉い肩書きがあって仕事がデキて頭もいいのかもしれませんが、彼は紛れもなく“子供”。
ゲンドウの周囲の人々はそれに気づいていなかったので、ゲンドウは誰からも“お前はただのガキだよ”と指摘されずにここまで来てしまった。だからゲンドウも自分は“大人”だと勘違いしたままだった。
周囲も自分自身も“大人”だと思い込んでしまっている“子供”、それがゲンドウ。そんな彼が大きな権力を持ってしまったばかりに、あんな悲劇的な世界になってしまった――というのが本作の核心なのかもしれません。