神曲を連発の90年代の「渋谷系」アーティスト、人気絶頂で解散したパーフリなど3組

コラム

citrus 文月

 

90年代、コアな音楽マニアを中心に支持を集めた「渋谷系」という音楽ジャンル。さまざまな年代、国のポップスを融合し、スタイリッシュな音楽として再構築した渋谷系の音楽は今でも色あせない。今回はそんな渋谷系の中心アーティストを3組解説!

 

 

■ピチカート・ファイヴ

 

1984年に結成されたピチカート・ファイヴ。作曲、作詞、編曲を手掛けるリーダーの小西康陽による音楽ユニットだ。アメリカのオールディーズをはじめ、ジャズ、ボサノヴァ、ソウルなどの音楽を下地にヒップホップ、ハウスのエッセンスを取り入れた都会的なサウンドが特徴である。

 

結成当初から高い評価を受けてきたピチカート・ファイヴだが、1990年に3代目のボーカリスト・野宮真貴が入ってからは人気がうなぎ上りに。「シングル・スウィート・ソウル・レヴュー」、「東京は夜の七時」、「ベイビィ・ポータブル・ロック」などのヒット曲を連発した。

 

2001年で活動は終わってしまったものの、その先進的なサウンドは後続のミュージシャンに影響を与え続けている。

 

 

■フリッパーズ・ギター

 

1987年にロリポップ・ソニックというバンド名で結成され、89年に改名したフリッパーズ・ギター(通称・パーフリ)。小山田圭吾と小沢健二のふたりでデビューしたパーフリは、80年代の海外ギターポップ、インディーズバンドのテイストを匂わせるサウンドが、当時のバンドブームとは一味違った音楽として受け入れられた。

 

また1989年のメジャーデビュー作でファーストアルバムの『three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった』の曲を、すべて英詩で歌うという大胆さも見せる。その後発売した『CAMERA TALK』では「Young, Alive, in Love/恋とマシンガン」、「Camera! Camera! Camera! /カメラ! カメラ! カメラ! 」などのキラーチューンをリリースした。

 

しかし、1991年の人気絶頂期に突然の解散。以後、小山田はコーネリアスとして実験色の強い音楽に傾倒していき、多くのコアな音楽ファンから支持を得ていく。一方の小沢も音楽活動を続けつつ、90年代には知的な様相と王子様的な振る舞いが人気を呼び、メディアに多数出演。そして、ラップグループ・スチャダラパーとコラボした「今夜はブギー・バック」は、シングルの売上が50万枚を超えるヒットとなった。

 

 

■Original Love

 

1985年に結成したOriginal Love。1991年にバンド形態でデビューするものの、1995年以降はボーカルの田島貴男のソロユニットとして活動していった。ロック、ソウル、ブルース、ジャズなどの音楽を取り入れた田島の音楽性は、ほかのミュージシャンへの影響力が高く、先述したピチカート・ファイヴの小西がユニットに勧誘したり、フリッパーズ・ギターの小山田と小沢がファンを公言したりするなど存在感は絶大だった。

 

メジャーデビューこそ後輩のフリッパーズ・ギターに遅れてしまったものの、デビュー後はヒット曲を連発。中島美嘉、中森明菜など数々のアーティストにカバーされた「接吻」、株式会社エフティ資生堂のCMタイアップとなった「朝日のあたる道」などの代表曲を一度は聴いたことがある人は多いだろう。

 

ソロユニットになってからも、「プライマル」などの名曲をリリースし、今日まで活動を継続しているOriginal Loveからは目が離せない。

こちらの記事もおすすめ!
6歳の息子「5歳や4歳の俺は死んだの?」哲学的な質問から一晩…翌朝の息子の発言に「変わりすぎ!」と反響の声

6歳の息子「5歳や4歳の俺は死んだの?」哲学的な質問から一晩…翌朝の息子の発言に「変わりすぎ!」と反響の声

ページトップ