結婚後こそ禁句にすべきかもしれない「察して!」という言葉

コラム

 

「女子の女子による女子のためのおしゃべりコミュニティ」を謳う『ガールズちゃんねる』で、『結婚生活では【察して】は通用しないのでしょうか』なるタイトルのスレッドを立っていた。男子なのに読んじゃって、しかもコラムのネタにまでしちゃってすみません……って感じではあるのだけれど(笑)、とりあえず同スレッドに “問題提起” としてアップされている「ユーザーの悩み」とは、以下のとおりであった。

 

昨日、体調が悪くて家事を出来ずにいました。

 

すると旦那は労わる言葉をかけるでもなく、山積みの洗濯を回すでもなく、茶碗を洗うでもなく、いつものようにゲームをしていました。なんだか虚しくなりました。

 

ちなみにお願いしたことに対しては全力でやってくれる人です。でも私の言い分としては「言わなきゃわからないの?」です。ワガママでしょうか…。

 

結婚1年目、子なしです。共働きで、私もフルタイムの正社員です。

 

人生の先輩方、アドバイスや経験談ありましたらおききしたいです。よろしくお願いします。(原文ママ)

さて! では「人生の先輩方」の一人として、ゴメス師匠から僭越ながらささやかなアドバイスを!!

 

結論から申すと、結婚生活で【察して】は通用しません! いや、より正確な表現をするならば、

 

「むしろ結婚してからのほうが【察して】という言葉は通用しづらくなるのでは?」

 

……とすら、私は思う。なぜなら、結婚生活もそれなりに続けば、同居の経験値だって長いのだから……と、「おたがいのパートナーに対する観察眼を “過大評価” してしまう」からだ。

 

こうした “現象” を野球に例えてみよう。

 

もう結成して10年は経過している草野球チーム。足の速い選手Aがフォアボールを選んで一塁へと進む。俊足ゆえ、初球から次の塁を狙ってノーサインでスチールを試みるも、バッターはピッチャーが投じた絶好球を打ち損じてしまい、ショートフライ。そのままファーストに送球してダブルプレイという最悪の結果に……。

 

「せっかく(足の速い)オレが塁に出たんだから、せめて初球は見逃してよ~!」

 

……と、つい文句の一つくらいは吐きたくなる気持ちはよ~くわかる。しかし、これは「ず~っと一緒にやっている」がゆえの “阿吽の呼吸” ──つまり、「察してもらうのが当たり前」という “無言の信用” に頼りすぎたがゆえの典型的な失敗だと言えよう。

 

「察する」とは

 

「物事の事情などをおしはかってそれと知る、推察すること」

 

……である。

 

10年来のチームメイトだろうが、伴侶だろうが、しょせん元々は赤の他人──「赤の他人」だからこそ、その関係が長くなればなるほどに生じかねない “油断” を防ぐためにも「推察」ではなく、いっそうの緻密なサインプレー──「結婚生活」に置き換えれば、きちんとした「言葉でのコミュニケーション」が不可欠になるのではなかろうか。

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