専門家の“劣化”が招いた混迷──「新国立競技場問題」を総括する

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昨今はインターネットを通じてあらゆる情報が市民に対して開かれている。そして、インターネットを通じて、感情の共有がたやすくできる。そうして大衆の感情が高まりつつあるときに重要なのが、専門家(有識者)の言動だ。高まった感情に水を掛けて消火するのか、ガソリンをまいて焚きつけるのかで結果は大きく変わる。そういう意味で、「新国立競技場問題」は興味深い出来事だ。専門家である建築家らのミスリードが大衆扇動につながり、混迷を深めることになったからだ。

 

 

■ザハ案が反対された理由を整理する

 

専門家のミスリードについて理解するため、改めてザハ・ハディドの設計案への「反対」の中身を整理してみる。

 

反対は主に3点について行われ、それぞれ反対者の立場も異なっていた。最も声が大きかったのは、①コストがかかりすぎる、次いで、②景観を損なう、そして少数だが③コンペのあり方に問題があるという事由もあった。①と②については説明不要だろう。③はコンペの参加要件が厳しく、若手建築家などに対して門戸が開かれていなかったことを指す。③は一般の関心は惹かないが、建築家など多くの建築関係者の心を捉えた。もともと彼らの多くはコンペの結果に対して不満をもっていたからだ。

 

有り体に言うと、市井の建築家らには「今世紀最後かもしれない大きなコンペの最優秀作がなんでザハなんだよ」という気持ちがあった。③はその不満を体裁よく言い換えることができるのだ。

 

 

■建築業界の空気とは

 

なぜザハ案がそこまで建築家らをヒートさせたのか。それを理解するには、建築業界の現状を知る必要がある。

 

長引く不況下で、さらに震災を経験した日本の建築業界では、リノベーションやコミュケーションデザインといった「脱新築中心主義」の「地味渋」の仕事がこれからの建築家の中心になると喧伝されていた。そこに登場したザハ案は、そうした日本の現実をまったく無視するかのようにやりたい放題に見えた。これが彼らの神経を逆撫でした。要は、ザハ案は空気をまったく読んでいなかった(当たり前だが)。それはザハ案を選んだ安藤忠雄以下の選考者たちも同じだった。それが市井の建築家らの反感を買い、ザハ案に対する反対表明につながった。

 

このように、③を中心に②を加えた事由から多くの建築家らが反対したことで、市民の直感的で感情的な反対に対して、専門家からの正しさの裏書が与えられてしまった。それがミスリードの始まりだった。

 

 

■遅きに失したザハ擁護

 

建築家らがヒートして大衆迎合的な言動を行った結果、金食い虫で怪異な形態のザハ案は排除すべしという世論が形成され、ザハ案をボツにして再コンペが行われた。このやり直しのコンペは時間がないことを理由に、設計と施工が一体となった提案に限られ、参加はわずか2者だった。ザハばかりかほとんどの国内の設計事務所も排除されたのだ。

 

コンペで勝った建築家のクビを簡単に切ってしまったこと、再コンペで建築家をお飾りのように扱ったことで、結果的には建築家という存在そのものを毀損する結果になった。これもまた建築家のミスリードが招いた事態の1つだ。彼らがザハ案を叩くことで、建築家不要論的な論調を世間に広めてしまった。再コンペが囁かれるようになったころ、建築家らはあわててザハ擁護に回ったが、遅きに失した。海外から見ると、国際コンペの選定案によってたかって文句をつけて“日本人しか参加できないコンペをやり直した”ような事態となり、日本は国際的な信用を失った。

 

 

■再コンペは悪手だった

 

現在、新国立競技場はようやく着工し、予算は1489億円と報道されている。このように中途半端にお金の掛かった、その割には新鮮さのないデザインで、いまいち不便な建物が出来上がることになる。

 

仕方のないことだ。白紙状態で計画の条件を練り直し、コンペをやり直せば廉価でかつ五輪の象徴にふさわしい新鮮な案を得ることもできるだろうが、途中まで進んだ計画をベースにして、まったく異なる建物を建てることは不可能に近い。

 

コストで言えば、維持費がかかりすぎるという反対に配慮して、運営を民間に委託するという案も出ているようだが、泥縄式の考え方だ。商業施設として黒字運営を目指すのであれば、設計段階からリーシングなどを含めて詳細な検討をすべきものであり、これから着工という段階で検討すべきものではない。

 

振り返れば、ザハ案をボツにして再コンペというのは明らかな悪手であった。コストと景観の保全に徹底的こだわるなら、そもそもオリンピックそのものに反対すべきであったし、建物に五輪にふさわしい象徴性をもたせながら当初予算内に収めたいのであれば、ザハ案をベースに問題点の抽出と設計の修正を行えばよかった。実際、ザハは変更には応じると再三アピールしていた。

 

そうした方向に進まなかった理由の1つが専門家である建築家らのミスリードにあった。

 

大衆はいつでも無責任で「気分」で行動する。重要なのは、その気分を制御する専門家の見識の高さである。言い換えれば、専門家が「劣化」してしまうと大衆扇動を致命的な結果に導いてしまうのだ。本件の教訓はここにある。

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大菅力

大菅力

1967年9月東京生まれ。早稲田大学第二文学部中退。1994年に株式会社建築知識(現エクスナレッジ)に入社。2000年より2006年まで建築の専門誌である月刊『建築知識』編集長。2006年にインテリアの専門誌である季刊『i...

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