「格下への接し方」が器の大きさを表わすという話

コラム

 

ある交流会でのことですが、久々に尊大な態度で自慢が多い社長に出会いました。私があまり好きになれないタイプの人です。

 

年齢は50代後半くらい、某有名企業にいたようですが、そこからシニア起業で独立したようです。自分にはその気はなかったが、「周りの人たちからどうしても」と望まれて独立したのだそうです。本当にそうなのかはわかりません。

 

“尊大な態度”がどんなことかというと、話し口調はほとんど「タメ口」に近く、人の話をほとんど聞かずに自分の自慢話をします。名刺交換一つをとっても、もらった名刺を丸めてポケットに入れそうな勢いで、態度がいちいち感じが悪いのです。私はそういう人とはできるだけお近づきにならないようにしているので大した被害はありませんでしたが、初対面の他の社長相手に「その程度の事業では」とか「自分はこんなに大きな仕事をした」とか、明らかに見下したような態度を取っています。

 

当然ですが、周りからどんどん人がいなくなり、にぎやかな中で一人ぽつんとしています。試しにもう一度だけ声をかけてみましたが、やはり同じような態度なので、もともとそういう性格の人なのでしょう。ただ、有名企業で揉まれてきた結果があの感じだとすると、一般的なキャリアルートからは相当に外れてしまっているか、もしくは相当に偉い立場になって勘違いしてしまったかのどちらかで、私が多くの経営者と出会ってきた経験からすると、圧倒的に前者の可能性が高いのではないかと思いました。

 

 

■長い目で見ると、威圧、恫喝、自慢にメリットはない

 

私が懇意にしているそれなりに立派な経営者の方々と話していると、よく「本当に偉い人ほど腰が低い」という話になります。ある人物を指して“あんなに大企業”“あんなに有名人”なのに丁寧で品が良く、気さくでなおかつ腰が低いなどという話題のこともありますし、みんなが経験してきた一般論のこともありますが、「格上の人ほど不遜な態度を取らない」という話は共通しています。

 

いくつかの書籍やウェブ上の記事に、それぞれ表現のしかたは違いますが、「格下への接し方がその人の器をあらわす」という話がありました。これは私が知っているある社長の話ですが、新入社員との懇親会で、相手への話し方は敬語をほとんど崩さず、かといって相手の親近感を失わせない暖かさを感じる、絶妙な品格ある対応をしているのを見たことがあります。相手への敬意と親近感を両立させるのは、やろうとするととても難しいことで、私などでは堅苦しくなるか、なれなれしくなるかのどちらかに偏ってしまうでしょう。この社長の振る舞いに心から感心したということがありました。

 

人間を格上や格下ということ自体が良くないという考え方もありますが、やはり社会全体の中ではその人の立場によって上下関係は存在します。そういう中で、「格下への接し方がその人の器を示す」というのはよくわかる気がします。

 

短期的に見れば、威圧、恫喝、自慢が必要な場面はあるかもしれませんが、それを長い目で見たとき、本人が得をすることは何一つないと思います。その人と付き合うメリットがないと見られた途端に、周りから人が去っていきます。社会的な立場がある人ほど、「格下への接し方」には注意が必要です。

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