Zeebra、会社員からラッパーに“天職”した熱き人生論

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一体、サラリーマンとはなんなのか。元会社員である著名人たちが会社員時代を語る。"名刺を捨てた男たち" は当時何を考えながら働いていたのか。仕事へのモチベーション、プライベートとの比重、そして夢への挑戦……。

 

ひとつだけ言えるのは、全身全霊その職務に取り組み、中途半端な仕事はしなかった。そして、その経験が活きているからこそ、彼らの「今」がある。現在にいたるまでに何を考え、どんなアクションをしたのか。それを確かめるために、その核心にせまるべく、「For M」編集部は“名刺を捨てた男たち”に単独インタビューを敢行した。

 

日本のヒップホップ界の先駆者としてメインストリームを駆け抜けてきたラッパー・Zeebraだが、一度は夢を諦め“名刺を手にした”ことがあった。しかし、思わぬことから、もう一度だけ夢を追いかけるチャンスがやってきた。

 

単身で2人の息子を抱えて、ヒップホップの道を志したZeebraは、どうしてヒップホップの先駆者として一旗揚げることができたのか。そして現在、再び“名刺を手にして”行く先とは?

 

文:富山英三郎 写真:佐坂和也 スタイリング:小倉正裕 取材協力:ソロモンアイアンドアイプロダクション

 

「DIESEL」 の黒テーラードジャケット/8万5320円(DIESEL JAPAN TEL:0120-551-978)、ネクタイ/1万9440円(SHIPS PRESS TEL:03-5159-6055)、「NIKE」のスニーカー/ 1万3500(NIKE カスタマーサービス TEL:0120-645-377)、パンツ、シャツ/私物

 

 

 

 

■20歳で子供を授かり、結婚。人生の岐路に立つ

 

慶應の幼稚舎から普通部へと進み、夏休みにはアメリカのテニスキャンプに参加するなど、良家のお坊ちゃんとして育ったZeebraさん。しかし、恵まれた環境のなかで、常にアウェイ感があったという。そこには、小学4年のときに起きた祖父・横井英樹氏の事件の影響もあったのだろう。

 

一方、明るく人気者だったため先輩たちから可愛がられ、早くから渋谷や六本木で遊び始めるようになり、中学2年で早くも落第。その後もストリートで学び続けるなか、ヒップホップに夢中になり、クラブDJとしてのキャリアをスタートさせていく。

 

そして、DJとしてこれからという20歳のときに子どもを授かり結婚。人生の歯車は大きく変化していった。

 

「前妻の親御さんに、DJなんて水商売の奴にうちの娘をやれないと言われて。それで、向こうの親戚のツテで、オバさん向けの洋服を輸入販売している会社に就職したんです。そのときは辛かったですね。夢を諦めることになったわけだし、しかも当時のヒップホップは反体制的なメッセージが強かったから、そっち側に取り込まれてしまう感覚もあって」

 

そんな葛藤を抱えながらも、親としてサラリーマンとして、子どもを育てていく決意をしたZeebraさん。その背中を押したのもまたヒップホップだった。

 

 

 

 

■父親として生きることも“ヒップホップ”

 

「U.S.ではベイビーマザーやベイビーファザーが多くて。そういう状況に対して、しっかり父親になれっていうメッセージを込めた『Be A Father To Your Child』(Ed O.G. & Da Bulldogs/1991年)って曲を聴いたときに、グッときて。それで、自分も父親としてちゃんと生きることがヒップホップだと感じてサラリーマンを始めたんです」

 

思いがけずスタートした新しい人生。会社勤めで一番辛かったのは、朝起きることだったとか。それもそのはず、15歳でドロップアウトしてから規則正しい生活とは無縁の日々を送ってきた。

 

「ストレスもあったのかな、今より10kgくらい太っちゃって。精神的にもいっちゃってたから、対人恐怖症になってたんですよ。というのも、当時(1988~1989年頃)のU.S.ヒップホップは権利の主張とか、コミュニティを作っていかに前向きにやっていくかみたいなメッセージが強かった時代。でも、あの頃の日本は今と違って、問題意識を持った若者カルチャーが一切なくて、本当に世間とのズレに絶望してたんです。わーきゃーやってるチャラい日本が、すごくイヤだった」

 

 

その一例として挙げてくれたのが、ネルソン・マンデラ氏釈放時(1990年)の出来事。反アパルトヘイト運動により終身刑となっていたマンデラ氏が釈放された意義を、自分ごととして感じていた人はあまりにも少なかった。

 

「ヒップホップが好きだったので、日本人のくせに黒人の歴史をすごく勉強してたんです。だから、マンデラ氏の釈放には超喜んで、自分のパーティで祝ったりもして。その後、氏が来日されて日比谷野外音楽堂でスピーチをすることになって、期待しながら行ったんです。そうしたら、客席の多くは政治系の組織や団体に集められた人たちで、話も聞かずにイカ喰ってビール飲んでる。もう、なんだこりゃ? って。問題意識を持っている奴は自分の周りだけで、それ以外の奴らとはわかりあえないと本気で思ったんですよ」

 

 

 

 

■ヒップホップのオリジネーターたちとの出会い

 

その後、会社に勤めながらも空いた時間を使い、ビートやリリックを作り始めるまで時間はかからなかった。やはりヒップホップへの衝動を完全に抑えることはできなかったのだ。

 

「その頃、”ヒップホップで人生が変わったけど、子どもができたからその夢も捨てるよ”みたいなリリックを書いて。その曲を来日していたアフリカイスラム(ヒップホップ界の大物)に聴いてもらったら、『すぐにレコーディングしよう』って。もう、キターーー!!! って感じ。次に来日したときにライブを見せてくれって言われてセッティングしたら、メリー・メル(社会派ヒップホップの先駆者)とかまで来てくれて。そこでその曲をやったらスタンディングオベーションしてくれたんですよ」

 

ヒップホップのオリジネーターたちに認められたZeebraさんの心は揺れ動く。

 

「でも、子どもがいたしサラリーマンをしていたので、いいタイミングがきたら動こうと。会社勤めしながらレゲエDJをしていたランキン・タクシーさんもいたから、そういう生き方もありだなって」

 

会社勤めが凝り固まっていた思考を解きほぐす一種のリハビリとなり、コミュニュケーションの重要性にも気づき始めたジブラさん。サラリーマン時代はひとつの社会勉強だったと振り返る。そんな折、またもや人生の転機が訪れる。

 

 

 

 

■タイムリミットは半年間。1分1秒も無駄にしない

 

「前妻とうまくいかなくなって別居することになったんです。その直接的な原因が向こうにあったから、俺は子どもを連れて祖父母の家に転がり込んで。おばあさんには『半年以内に結果を出すから時間をくれ』って頼んで、会社を辞めて音楽に専念する時間を作ったんです」

 

夫婦関係が崩れ、小さい子どもを連れて実家に戻り、さらには会社も辞めてしまったジブラさん。まさに波乱の時期だった。

 

「正直、その時期は自暴自棄みたいな気持ちになってましたね……。でも、いま奮起しないでどうするんだって。それからは1分1秒を惜しんで、新しい曲を作って、デモテープを作って、ヒップホップの『ヒ』の字がつく現場にはすべて顔を出して、あれしてこれしてってやってましたよ。自分のなかでタイムリミットを決めて動いたからこそ、いつもの3倍、4倍動けたのかもしれないですね」

 

 

 

 

■すべての時間を音楽に捧げる日々

 

約束の半年後には、若者向け雑誌に名前が出たりと徐々に露出も増えていった。若手アーティストとして取り上げられることもあったが、来日した海外アーティストのインタビューや原稿起こしなど、ライターとしての仕事もしていたという。

 

「そういう活動の証拠を見せながら、居候期間を半年ずつ伸ばしてもらいました。最終的にそれから2年半で『キングギドラ』のファーストアルバムまで漕ぎつけたんです。本当はもっと早くに出せたんですけど、取り分やプロモーションの仕方とか、多少の権利は守りたいっていうのもあって、納得できる契約を結べるまでに時間がかかりました。

 

そんな感じだから、アルバムを出す前から月に40本とかライブはしてましたよ。1回のステージ1万円で1晩に3カ所とか、あとは海外アーティストの雑誌インタビューの通訳とかね」

 

 

 

 

■いちアーティストから組織を作る立場へ

 

会社を辞めてから音楽関係以外の仕事は一切せず、当時の収入はすべて“音楽”で生み出していたというから、その徹底ぶりは並大抵のものではなかったことが分かる。

 

1995年に発売された「キングギドラ」のアルバム『空からの力』は、ヒップホップシーンに大きな影響を与え、日本のヒップホップが盛り上がるきっかけとなった。その後の活躍はご存知の通り。その一方で、「UBG」と呼ばれるアーティスト集団を結成したり、音楽レーベルを立ち上げたりと、自らが組織を作る立場にもなっていた。

 

 

 

 

■“名刺を捨てた男”は再び名刺を手にした

 

「『UBG』を作ったころはまだ“ごっこ”みたいな感じで、渋谷に事務所がありましたけど、みんなの溜まり場みたいな感じ。壁に『女連れ込み禁止』とか書いて(笑)。そういう意味では、2014年に新レーベル『GRAND MASTER』を立ち上げて、初めて組織として動いていくこと、経営のことを本気で考えるようになりましたね。

 

今はCDの売り上げだけでどうにかなる時代じゃないし、アーティストが制作をできる環境作りのためにも、ほかの仕事をしてお金を引っ張ってこなくちゃとか、そういう大変さは感じています」

 

先日、ついに施行された「風営法」改正においては、政治家やクラブ事業者、アーティストやDJらで構成された「クラブとクラブカルチャーを守る会(CCCC)」の会長として熱心な働きかけを行った。若くして“名刺を捨てた男”が、いまやさまざまな肩書きの名刺を持ち歩いている。

 

 

 

 

■24歳、25歳の2人の息子の父親として

 

「部下を育成するみたいなことは、あまり得意じゃないのかなって思いますね。本当は好き勝手にやらせたいんですよ、その方が伸びると思うし。自分もアーティストだから思いが分かってしまう部分もあるし。細かく言わない方がいいのかな、でも言った方がいいのかなとか、いろいろ難しいですね」

 

若いアーティストと接するなかで、ジェネレーションギャップを感じることも多々あるという。

 

「本来、アーティストなんて自分からグイグイ行くべきだと思ってるんだけど、最近はおとなしい子も多いしね。だから、原石を磨くスキルを身につけなきゃとは思います。

 

ただ、いま自分の息子が24歳と25歳なんですけど、彼らとはまったくジェネレーションギャップを感じない。俺の教育方針のもと、タフに育てちゃったからかもしれないけど。息子たちが小さいとき、言うことを聞かなかったら『妄走族』(※)んとこに預けるぞ、とか言って(笑)」

 

※マイクジャックで名を馳せた暴走族出身のハードコアラップグループ。1998年に結成され、2015年に解散。

 

 

 

 

■社会人として働く2人に息子

 

現在、長男は一流企業に就職。次男は音楽の道を目指しながら、PR会社で働いている。

 

「こういう親だったせいか、長男は早い段階からサラリーマンを目指して、『仕事で親父と何かやる』とか言って。今は京都にいて、誕生日とか『父の日』とかに漬物セットを送ってきてくれたり、いっぱしのことをしてきますよ。

 

びっくりしたのが次男。アメリカの大学に行ってたのに、突然音楽をやりたいと言い出して、2年で辞めちゃって。こっちとしては、いくら金がかかったと思ってんだ! って(笑)。散々この世界の厳しさを話したんですけどね。まぁ、いまはどうにかやってるみたいで」

 

 

 

 

■四十男は自分が“おっさん”であることを認めること

 

子どもの話をしているときは、アーティストというよりも優しい親の表情になるZeebraさん。そんなZeebraさんに、自分らしい人生を送るために必要な、10代、20代、30代でやっておくべきことを聞いた。

 

「やっぱり10代は無茶しとけってことかな。20代はそこに責任が生まれるけど、それでもまだ無茶はした方がいい。そこから不思議な展開が生まれるかもしれないし、新しい道が開けることもあるから。30代は働き盛りだよね、そして40代への基盤作りであることは間違いない。

 

だから、30代はある程度固めつつ、でも縮こまらず、いかに自分のフィールドを広げるかを意識するといいかも。40代は人としてかっこいいことが大切かな。そのためには信頼感も必要だし、本当の意味でのかっこよさを身につけたい。だから、40歳になったらまずは自分が“おっさん”であることを認めること。それがかっこいい大人への第一歩」

 

 

 

 

■「肩書き」ではなく「生き様」

 

自身も40歳を過ぎた頃から、へんなエゴがなくなったと語るZeebraさん。

 

「25歳、30歳くらいだと大学とかを卒業して10年も経ってないから、そうは違わないでしょ? でも、40歳過ぎるとすごい奴は億万長者、一方ではまだ実家暮らしって奴もいる。それをいちいち比べても仕方がないでしょ。

 

それよりも、ココとココが組んだらこんなことができるとかって意識になってくる。まぁ、儲けの差はあっても基本的に仕事はどれも大変だから。今でも遊んでる仲間には魚屋もいれば八百屋もいる。俺はただの“ラップ屋”。だから、ヘンなデカイものに巻かれなければいいかなって。そういうものとだけは常に距離感を保ってやってる感じですね」

 

最後に、組織のなかで不安を抱えながら生きている人たちへのアドバイスを聞いた。

 

 

 

 

■適材適所、自分の立ち位置を見極める

 

「ピッチャーだけで野球ができないように、それぞれの“ポジション”に意味があるんだと思う。自分もそれをまっとうしているだけ。風営法改正を例に挙げると、朝まで踊らせろ! 権利を認めろ! っていう主張一辺倒のやり方もあったけど、それで本当に変わるのかなって。

 

本当に変えるためにはどうするかっていうときに、今回はいろんなところに手を伸ばしたんです。それぞれが組織のなかで感じている不満も同じことだと思う。自分の置かれている環境に満足がいかないなら、その環境を変えるか、満足できる環境に移るしかない」

 

ときには自らが組織を牽引し、ときには自分の引き時を知り他者をサポートする。適材適所、状況次第で自らの立ち位置を見極めると話す姿に、かつてのストリートをならしたヒップホップ青年の面影はないかもしれない。

 

だが、いまや自身のレーベル「GRAND MASTER」の主宰、そして渋谷観光大使ナイトアンバサダーの会長として、名刺を手にして奔走している姿は、多くのヒップホップ青年に夢を与え、次世代の目標と言える存在になっていることは間違いないだろう。

 

 

【プロフィール】

ラッパー

Zeebra

1971年、東京都生まれ。レーベル「GRAND MASTER」主宰。1993年、「キングギドラ」を結成し、ジャパニーズ・ヒップホップのメインストリームで、多方面で活躍。近年、「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」(BSスカパー!)「フリースタイルダンジョン」(テレビ朝日)では、ヒップホップカルチャーを大きくメジャーに押し上げる一翼を担った。2016年には渋谷区観光大使ナイトアンバサダーに就任。

 

※この情報は2016年7月23日現在のものです。

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