伝統行事への風当たりの強さと「私の常識」同士のぶつかり合い

ライフスタイル

藤原 千秋

 

駅前道路の両脇に歩道がある。どういう理由かわからないけれども、どちら側も歩道内で歩く人々は「左側通行」している。人通りは終日絶えず、特に朝晩は逆行しようのない圧力で、みっしり整然と人が行き交う。まあよくある歩道ではある。

ある朝、いつものように子どもの手を引いて駅に向かう最中、真後ろから、しきりと「普通は右側通行だよね?」と問う声が聞こえた。「普通は右側通行でしょう?」「交通ルールは右側通行だよね?」「こっち側歩くの、おかしいでしょう?」。やや訝しく思いながらチラと振り返ると、老婦人が、かたわらの夫と思しき老人に向かって「おかしいでしょう?」と繰り返している。夫は「うん」「そうね」と否定はしないが生返事。うっすらと雰囲気で察する。そうか、このおばあさんは自分の常識を確かめたい……確かめないと不安になるタイプの、人だ。案の定? そのまま駅エスカレーターでも老婦人は左側に立って右側は空ける(東京独自の?)慣習にも一言あるようすで、これは右側通行なの? どうして皆立ってるの? おかしいでしょう? ずっとブツブツ呟いていた。

「私の普通」「私の当然」「私の常識」というもの。混沌としたこの世界で生きるうえでは必要不可欠な「つっかい棒」だ。多くは親の、育って来た家庭の、地域の「常識」が「私」を中心とした小さな世界を支え守るが、ときおり囲い込みもする。

例えば近年話題に上ることの多い、「伝統行事」等への風当たりの強さ(『ネット攻撃で消えていく伝統行事!「なまはげ」も怖くない鬼、節分も豆禁止』)というのは、一種の「私の常識」同士のぶつかり合いのように思っていた。おせち料理は絶対家庭で作るもの。七草がゆはかならず食べるもの。節分では柊に鰯の頭を付けて玄関に飾るもの。豆撒きは大豆で行うもの。雛人形はかならず飾るもの。桃の花を飾るもの。蛤のお吸い物と、ちらし寿司と、ひなあられと、白酒を楽しむもの……。

年明け、春に向かう季節のこれら「年中行事」「伝統行事」は明るい色彩に満ちている。それが「当たり前」の、各々執り行うのが「常識」の家庭で育った人にとっては、決してスルーし難いものであっても不思議ではない。とはいえ当たり前だが、このような「行事」を現代の家庭生活で行う義務はないわけだし、家庭ごとの差も、地域性もあり、行事のありかたからして一様ではありえない。「正答」はない。

そもそも「伝統行事」として挙げられることのどれほどが、どれほどの「伝統」をもつものなのか、ということも曖昧で、よくわからなかったりする。関東あたりでもすっかり定着した感のある「恵方巻き」云々も、「伝統」と言われると違和感があるのは、埼玉育ちの「私の常識」とは異なるからであり、我が家では一度もあの太巻きを節分に食べたことはない。だからといって「豆撒き」はスルーできず毎年子ども達と行っているのはなぜだろう。身のうちに一度「伝統行事」「私の常識」として刻まれたものごとを別の常識で「上書き」することへの不安や抵抗はどこからくるのだろう。

産まれた土地でそのまま一生を終える人の少なくなった、移動の容易な時代である。独特な地域性のある「伝統行事」への抵抗が消えない、何年住んでも「郷に入れない」個人がいても、それは致し方ないことなのかも知れないと思う。歩道の歩き方レベルですら「私の常識」に照らせば、人は違和感をおぼえるほどなのだ。

「私の普通」「私の当然」「私の常識」と「あなたの普通」「あなたの当然」「あなたの常識」を擦り合わせ、その中間をゆらゆら揺れるような、曖昧さを身につけること即ち「成熟」というと言ったのはフロイトだ(Neurosis is the inability to tolerate ambiguity.)。


「節分も、ひな祭りも、なまはげも“私好み”じゃないけど、やりたい人がいるならやればいいんじゃないかなあ」という曖昧な対応で、だから多くの人はやりすごしているのだろう。

でも「私の価値観には合わないから、その伝統行事とやらは止めて欲しい」といった個人の要望が通る、通ると思い、実際に通してしまうこともある。「成熟」とは程遠く、安直で無難に過ぎる対応で、そのこと自体はべつに間違ってもいないが、正しくもない。そんな軋轢を回避しただけの姿勢を後から悔やむのなら、再びその伝統行事を復活させればいいだけのことである。ただその復活を多くの人が望まないのであれば、その「伝統」もそこまでなのだ。そしてまた新たな伝統が生まれる。それはそれでいいのではないかと思う。

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藤原 千秋

大手住宅メーカー営業職を経て2001年よりAllAboutガイド。主に住宅、家事まわりの記事執筆を専門とするライター・アドバイザー&コラムニストとして活動。著・監修書に『この一冊ですべてがわかる! 家事のきほん新...

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