北海道男児山林置き去りについて

話題

 

■結果オーライだったからこそ話題にできる

 

北海道で7歳の男児が行方不明になったということで日本中が騒然としているとき、某ネット系編集部から「これをフックにしつけについての記事を書いてくれ」と依頼があったが断った。もしかしたら子供が亡くなっているかもしれない事件をつかみに使って、しつけの正論など私には書けない。

 

当然最悪の結末も考えたので、この事件については私はSNS上でも一切触れなかった。「心配です……」という書き込みも、自己満足でしかないと思い、しなかった。子供の安否がわからない状態で、外野がああだこうだと騒ぐ問題ではないと考えていた。

 

本当に最悪の結末だったとしたら、私が公の場でこの件について触れることは一切なかっただろう。結果オーライだったからこそ、今、この文章を書いている。

 

 

■「もうこの件に触れるのはやめましょう」でいいのか?

 

もうだめかもしれないなと正直思っていた矢先、無事保護のニュース。安堵と同時に、「なんでこんなことになったの?」という疑問がこのとき初めて湧いてきた。このときはじめて、この件にからめてしつけについての記事を書いてもいいかなと思った。

 

しかし喜びのニュースの直後から、SNS上の雰囲気が変わり始める。「見つかったのだから、もうこの件に触れるのはやめましょう」的な論調が一気に広まった。そう発言するととっても「いい人」に見える。しかし本当にそれでいいのか、今回のことの何がいけなかったのかを「私たち大人の責任」として総括しなくていのか、強い違和感を覚えた。

 

両親の「人格」をバッシングしてはいけないけれど、その「行為」自体は、結果オーライだったからこそ強く非難されてしかるべきだろう。もし結果オーライでなかったら、いかなる正論もむなしく、それこそ誰も何も言えないムードになっていたはずである。

 

 

■「お前いらない。生きてる価値ない。死ね」と同じ

 

驚いたのは「ちょっとくらいなら、いうことを聞かない子供を置いておくというのも、まあよくあることではないか。今回はおおごとになってしまっただけで……」という論調が意外に多かったことだ。

 

たとえば当初の両親の言い分通り、山菜採りの最中に、目を離しちゃいけないとわかっていたのについ目を離した隙に見失い、おおごとになってしまったというのなら、「見つかったんだからもういいじゃん」ですまされると私も思う。

 

しかし今回のことは、誰でもやっていることをやっただけなのにたまたまおおごとになってしまったというのとは明らかに違う。

 

7歳の児童を山林に置き去りにすることは、押し入れに閉じ込めたり、外出禁止を命じたりという、親の保護下でのしつけとはまるで違う。

 

山林に置いて車で見えないところまで行ってしまうというのは「お前いらない。生きてる価値ない。死ね」って言っていることと同じ。絶対に許されない。

 

 

■子供のしつけ以前に大人のしつけが必要!?

 

同じことを、たとえば一緒にドライブしていたよそのうちの子にしたら、その親から間違いなく訴えられる。それなのに自分の子供なら何をしてもいいという甘さが社会全体に依然ある。

 

山林ではなく、町中であっても置き去りは絶対にダメだ。迷子、誘拐、交通事故……重大事故につながる恐れがある。飲酒運転と同じくらい、「ちょっとでも、絶対にダメ」と大人が自分にいいきかせなければいけない。絶対にやってはいけないことである。

 

やっていいことといけないことの区別がつかないのだとしたら、子供のしつけ云々の前に大人のしつけが必要だという話になる。

 

「かっとなってつい妻を殴っちゃうことってあるよね」って昔の男なら言っていたかもしれない。でも今じゃ考えられない。それと同じ。子供にやっていいことといけないことの認識を、社会として変えていかないと。それが、今回の事件を目撃した大人たちの使命ではないのか。でなければ単なる野次馬だ。

 

 

■尾木ママの意見は間違っていない

 

ちなみに「尾木ママ」こと教育評論家の尾木直樹氏は、5月31日のブログで「親は厳しく批判されるべきです」と非難している。同じエントリで次のようにも述べている。

 

・親は絶対的な権力者

・親は子どもより圧倒的な強者

・7歳より親の方が分別がある

・親は子どもを安全に養育する責任と義務がある

・子どもは親に安心・安全に育ててもらう権力がある

(※おおた注:最後の「権力」は「権利」のことかな?)

 

そのとおりだと思う。

尾木ママは、ほかのエントリで、事件性を疑うような発言もしており、それはそのタイミングで発信するには不用意だったと思うものの、教育評論家として、今回の親の「行為」を非難するのはまったく道理にかなったことだと私は思う。

 

 

■子供の人権への意識を高めよう

 

件の親はもう2度とこんなことはしないと思うので、これ以上責め立てなくていいけれど(専門家による十分なケアは必要)、今回の事件の顛末を見たすべての大人がもっとことの重大性を認識しないといけないと感じる。

 

子供の人権について、もっと意識を高めなければいけないのではないか。そもそも子供の人権についての意識が低いからこそ、児童虐待や教育格差、その他の育児・教育に関する諸問題も、話がなかなか前に進まないのではないか。

 

「経済発展のために少子化対策を」などと「大人の理屈」で子供の育つ環境を整備しようとするのではなく、もっと純粋に「子供たちの権利を守れる社会を」という訴えが正論として認められる社会を目指すべきではないのか。

 

それが私が常々感じている違和感である。

 

参考まで、国連の「子どもの権利条約」とそれに基づく「リヤド・ガイドライン」のURLを示しておく。日常的に子供にかかわる人は、一度は目を通しておいたほうがいいと思う。

 

子どもの権利条約全文

リヤド・ガイドライン日本語訳(訳者:平野裕二)

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おおたとしまさ

おおたとしまさ

株式会社リクルートを経て独立。男性の育児・教育、子育て夫婦のパートナーシップ、無駄に叱らないしつけ方、中学受験をいい経験にする方法などについて、執筆・講演を行う傍ら、新聞・雑誌へのコメント掲載、ラジオ...

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