【劇作家劇場】急に態度が変わる『ハムレット』的な人、あなたは共感できますか?

人間関係

劇作家 松井周

 

先日、路線バスに乗っていたら、発車間際に急いで乗り込んできた若い女の人がいました。「すいません!これ両替できますか?」と息を切らせながら運転手に聞きます。その手に握られていたのは五千円札で、運転手はぶっきらぼうに「いや、五千円札はちょっとできないんですよね」と説明すると、その女の人は「本当にごめんなさい。今、小銭がなくて、あのほら」と財布を見せました。「いや、あの、千円だったらあれなんですけど」と運転手も困り顔。しばしの沈黙の後に「…ですよね。じゃあ」と女の人が降りようとしたところ、運転手は扉を閉め、快活に「次乗った時に今回の分も払ってもらえますか?次乗った時!」と言って、バスを発車させました。女の人は一瞬、面食らったような顔をしていましたがすぐに「ありがとうございます」と頭を下げて席に座りました。

 

一瞬の逡巡の後の運転手の決断した行動に、いい意味で「急に態度が変わる」と思いました。まあ、この場合前言を撤回したという程度のことですが、乗せるか乗せないかの葛藤とそこからの決断に至るまでの小さいドラマを見ることができました。きっと、動き出してからも頭のなかでは独り言のように「あーやばい!こういうことしちゃいけなかったかもなあ。これ会社に知られたら怒られるだろうなあ」という言葉がループしていたかもしれません。こういうのいいなと思います。言葉とは裏腹な行動をしてしまうということ。もしかしたら、ルールを少しはみ出してしまった行動かもしれませんが、運転手個人の懐の深さを感じることができました。

 

この場合はいい話ですが、逆のパターンもあると思います。演劇ではシェイクスピアが書いた『ハムレット』なんかは「急に態度が変わる」というか「常に態度がコロコロ変わる」感じで、まるでデタラメなようなところがあります。

 

デンマークの王子であるハムレットは、父である殺された先代の王の復讐のために、叔父である現国王を殺そうとするのですが、なかなかその目的を達せられません。そればかりか、先代の王の死後二ヶ月あまりで現国王と結婚した母親をまるで淫売かのように罵ったり、恋人にも「尼寺へ行け!」と突き放します。もちろん、それも父の復讐を誓ったゆえの誠実さとも取れるんですが、自分が誤って殺した人にはとても冷淡だったり、現国王を殺すチャンスにもなんだかんだ言い訳をして殺さなかったりします。終盤、かつての恋人の死を知ったハムレットは、それまでの冷淡さとは打って変わって、自分がどれほど彼女を愛していたかを訴えたりも。

 

 

■蛭子能収やカズレーザーも同類!?

 

ハムレットという人物は、お葬式で笑ってしまう蛭子能収さんのような人なのかもしれません。あるルールや常識のようなものに縛られて行動する人間を笑ってしまうような人間。カズレーザーみたいな人物も近いでしょうか。あるいは、他人が言ったことに対して必ず難癖をつけて返すロボットというものがあるとしたらそういうもの。とにかく空気を読みません。その痛快さがこれだけ愛されている理由なのかもしれないなと思います。でも、何を考えているのかわからないようにも思えるので、様々な台詞がいまだに謎を呼んでいます。

 

見方を変えると、関わる相手の視点によって、狂人にも誠意の人にも冷酷にも純粋にも優柔不断にも策略家にも見えてしまう人物とも言えるでしょう。でも、強烈に空っぽな感じもします。葛藤があるようでないのです。あるのは、陰鬱で強迫観念的な不安ばかりです。どうやって相手と適切な関係を結んでいいかわからずに、つい悪役のように自分を演じてしまう、そのように変身してしまうような人物に、なんだかなあと思いつつも、観客は共感してしまうのではないでしょうか。

 

さきほどの運転手も、もしかしたら葛藤の末にルールを破ったのではなく、つい「いい運転手」を演じてしまったのかもしれません。でも、それでも面白いです。その些細な変身が決まりきった日常の光景にプスッと穴を開けてくれるからです。

 

ハムレット的な人物と運転手は全然違う印象を与えますが、「態度が変わる」という部分は共通すると思います。きっとハムレット的な人物は近くにいたら面倒くさい人物ですが、人間はデタラメであることを血肉化したようなふるまいをしてくれるので、私たちは実生活でもルールや慣習に縛られてがんじがらめになっていることを気付かせてくれます。ハムレットのように現れるごとにまるで違うような人物に変身するのは難しいかもしれませんが、たとえば運転手のようにちょっとだけの変身をすることができれば、世の中を変えるとまではいかなくても、「あー、そういうのもありか」と、その場に居合わせた人の、日常において無意識に身につけている緊張を解くことができるのかもしれません。

 

付け加えておきますが、『ハムレット』という作品自体に登場するハムレットは本当に煮ても焼いても食えない人物で、「お前の気持ちわかるよ」などと肩を叩こうものなら、鼻で笑って、いかにその同情が浅薄なものであるかをフリースタイルラップのように韻を踏みながら5分ぐらいは語ってくれそうなので、近づきがたいです。狂人かテロリストのようでもあります。でも、その毒気に真実が含まれてるかもと夢中になってしまうかもしれません。だからぜひ『ハムレット』を読んで欲しいです。読後、それでも彼を英雄であるとか王子様のようなイメージで思えるなら、その人も相当心に空洞を抱えているのではないかと思います。

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劇作家

松井周

1972年、東京都生まれ。1996年に平田オリザ率いる劇団「青年団」に俳優として入団。その後、作家・演出家としても活動を開始、2007年に劇団「サンプル」を旗揚げ、青年団から独立する。2011年『自慢の息子』で第55回...

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