【今週のTOKYO FOOD SHOCK】「まさか海苔にノロウイルスが」事件で露呈、加害者と被害者が表裏一体の社会

話題

 

たぶん、悪気はない。メディアの取材に対して「わたしが悪いと思わざるを得ません」とコメントした、刻み海苔業者のあのおじいさんの話である。ニュース映像では半笑いのようにも見える表情を切り取られていた。もっとも人は極度の緊張状態に見舞われると、その緊張から逃れるため笑ったような表情になることもあるという。

 

だが、TwitterやFacebookといったSNSや、Yahoo! ニュースのコメント欄でのバッシングには違和感も残った。ときどき目を覆いたくなるようなコメントも少なくなかった。目にするだけで不快になるような「ヘイト」を撒き散らす匿名アカウントも少なくない。

 

本稿で、あのおじいさんを擁護したり、非難するつもりはない。もちろん、取引先の海苔メーカーとの間の取り決めに反して、手袋なしに素手で作業をしていたとすれば問題だし、ノロウイルスが流行った時期に吐き気を自覚しながら素手で作業を続けていたのなら、「プロ」としての姿勢に首をかしげたくもなる。だが、今回の「刻み海苔案件」は関係者も「まさか海苔にノロウイルスが」と驚くような出来事だっただけに衝撃ばかりが伝播してしまった。そこに来てあの「わたしが悪い」映像だ。ネタは扇情的に消費され、検証報道の頃には鮮度が尽きてしまった。この事案は、他山の石とすべき性格のものだ。ネタとして消費するだけで済ませていい話ではない。

 

 

■想像以上に時間がかかる“情報の上書き”

 

今回の食中毒問題からひもといて、俎上に乗せるべき課題はいくつもある。なかでも「新しい情報が届きにくい層に、情報をどう上書きさせるか」という観点での論はもっとたたかわされるべき課題だ。近年、食品加工の現場では「ノロウイルスは感染力が強い」「ノロウイルスは飛沫感染する」「食品加工業には清潔な手袋を着用すべき」という常識(意識)は当たり前のように共有されている。だが、今回は、近年の常識が浸透しない層の存在がノロウイルスによって可視化された。「当たり前」はあくまで現代の常識を知る者にとってのもの。前時代の間違った常識の上書きには意外と時間がかかる。

 

2002年、飲酒運転に対する罰則が厳しくなったときもそうだった。厳罰化が実施されてから、飲酒運転による交通事故件数が実施前の半数を切るまでに5年、現在の水準に近い4分の1を切るまでに10年がかかっている。罰則が格段に厳しくなり、その周知も徹底されていたにもかかわらず、意識の上書きには時間がかかったのだ。

 

今後も常識、ルール、意識の上書きが必要な分野は数限りなくある。例えば、独居老人の生活様式に関わる「高齢者の免許返納」問題もそうだし、2020年に向けての禁煙・喫煙問題も同様だ。こうした一朝一夕に結論の出ない問題に対しても、大声で「自分だけの正義」をがなりたてるアカウントがどれほどあることか。

 

課題はもっとシンプルなはずの食中毒についても情報の上書きは遅々として進んでいない。昨年の食フェスでも鳥のたたきによる食中毒騒動があったが、カンピロバクター食中毒のリスクを排除できない鶏肉を鳥刺しとして出す店はいまも結構ある。ましてや地方の山に入れば、野生鳥獣(ジビエ)の刺身などをすすめてくる猟師なんてざらにいる。厚生労働省が生食について再三再四、注意喚起を行っているにもかかわらず、だ。

 

現代社会は、悪気がないからといって許されるほど、牧歌的でもなければ寛容でもない。加害者なのか被害者なのか、いつどんな立場で当事者になるかわからない。われわれはそういう社会に生きている。

 

加害者と被害者はもはや表裏一体。その趣は感染した途端、加害者にもなりうるノロウイルスのようでもある。感染リスクを抑えるには、ウイルスから自分の身を遠ざけ、衛生管理を徹底するしかない。ネット上で日々行われる「魔女狩り」から距離を置き、できれば「不寛容」なアカウントとは縁を切っておく。自身のパーソナリティにも通じる「寛容」や「不寛容」といった"ウイルス"は、飛沫ではなくネットを通じて感染するものなのだから。

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松浦達也

松浦達也

フードアクティビスト/編集者&ライター 『dancyu』などの食専門誌から新聞、雑誌、Webなどで、「調理の仕組みと科学」「食文化」「食から見た地方論」など幅広く執筆、編集を行う。テレビ、ラジオでの食トレンド...

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