【今週の大人センテンス】もし今、モハメド・アリが徴兵を拒否したら私たちは……

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写真:ロイター/アフロ

 

巷には、今日も味わい深いセンテンスがあふれている。そんな中から、大人として着目したい「大人センテンス」をピックアップ。あの手この手で大人の教訓を読み取ってみよう。

 

第11回 アリが遺してくれた大切で難しい教え

 

「ベトコンはオレを“ニガー”と呼ばない。彼らには何の恨みも憎しみもない。殺す理由もない。」byモハメド・アリ

 

【センテンスの生い立ち】

2016年6月3日に、74歳で亡くなった元プロボクシング世界ヘビー級王者のモハメド・アリ。世界チャンピオンとして圧倒的な強さを見せ、次々と防衛戦を勝ち抜いていた1967年、陸軍への入隊命令が届く。しかし、宗教的な信念に基づいてそれを拒否。アリはそれ以前から、ベトナム戦争に関してこうコメントしていた。徴兵を拒否したことによって有罪判決を受け、ヘビー級のタイトルやボクシング・ライセンスも剥奪されてしまう。

 

3つの大人ポイント

・「世間の常識」に流されず、自分の信念を堂々と述べている

・反発やすべてを失うことを承知の上で「良心」に従っている

・その闘いを通じて、今の私たちに厳しい問いかけをしている

 

6月3日、伝説のチャンピオンだったモハメド・アリが74歳で亡くなりました。以来、彼の偉大な業績や素晴らしい人間性に、あらためてスポットが当てられています。今回のセンテンスも、発せられたのはおよそ50年前。しかし、けっして「過去の言葉」ではありません。今も人類は、いろんな屁理屈をひねり出しながら、何の恨みも憎しみもない人々が暮らしている国を攻撃したり、殺す準備をすることを正当化しようとしたりしています。

 

アリの死によって、この言葉を初めて知った人も多いでしょう(私もです)。リングの上での闘いだけでなく、リングの外でも人種差別や世間の迫害、そして難病と激しい闘いを続けてきた彼への追悼の意味を込めて、現代に生きる私たちが、アリが遺した言葉や教えをどう受け止めればいいのかを考えてみたいと思います。

 

この記事がまさにそうなんですけど、時間が経って評価が定まってから「アリは偉大だった」と言うのは簡単だし、何の勇気もいりません。徴兵を拒否したことに対しても「さすがアリ!」「立派な行為だ!」と支持を表明するのも、躊躇する必要はありません。むしろ声を大にして「俺はアリに賛成だ」「俺はアリの味方だ」と言いたくなるでしょう。

 

それはそれでいいんですけど、このセンテンスやアリの徴兵拒否の話を聞いたときに、私たちが考えなければならないのは「もし同じ時代に生きていたら、人気プロボクサーの徴兵拒否をどう思ったか」「もし今、人気プロボクサーが徴兵拒否をしたら、どう思うか」ということ。ボクサーじゃなく、ほかのスポーツの選手でも芸能人でも同じことです。

 

アリがこう言った約50年前にインターネットがあったら、さぞや派手に炎上したことでしょう。実際、新聞などのメディアはこぞって彼を非難し、世間も彼に激しい怒りと憎悪をぶつけました。徴兵回避を行なったという罪で起訴されたアリは、懲役5年、罰金1万ドルという重い判決を受けます(二審も有罪。1971年に最高裁で無罪に)。ボクシング協会も素早く対応し、ヘビー級のタイトルとボクサーとしてのライセンスを剥奪。さらに国はパスポートも取り上げて、アリが外国で試合を行なう道を閉ざしてしまいます。

 

全米各地の大学などを訪れて自分の信念を訴え続けたアリの地道な努力や、ベトナム戦争に対する反戦運動の盛り上がりなどでどうにか復権の道が開けて、ふたたびリングに立てたのは、最後の試合から3年半後のことでした。アリは自分の「良心」と「信念」を貫くために、20代半ばのスポーツ選手としてもっとも大切な時期を棒に振ってしまいます。

 

もし自分が50年前のアメリカで暮らしていたら、あるいは、もし今、アリのような立場の有名人が徴兵拒否をして話題になったら、はたしてどんな意見を持つでしょうか。その行動を支持して「さすがアリ!」「それもアリ!」と称賛できるでしょうか。私はその自信はありません。「いや、自分は絶対に支持する」と言い切れる人もいるでしょうけど、その言葉やその人を信じる自信もありません。

 

50年前には戻れないしアリも亡くなってしまいましたが、いつの時代にもどこの国にも「アリ」はいます。「世間の常識」という虎の威を借りて、尊大な態度でアリを罵り石をぶつけた人たちもたくさんいます。今この瞬間にも、いろんなところでいろんな闘いを続けている「アリ」がいて、そして、そんな「アリ」を非難している人たちもいるでしょう。

 

わかりやすい「アリ」は、スキャンダルでバッシングを受けている人でしょうか。当人が「アリ」かどうかはさておき、鬼の首を取ったかのように自信満々で罵っている人たちは、かつて「アリ」を罵った側の人たちです。個人的には今までも、「常識」や「空気」に素直に流されて誰かを非難している人を見ると、内心「ああ、この人はもし戦時中なら、ふた言目には『この非国民!』って叫んでたタイプだな」と思っていました。これからは、「ああ、この人はアリを罵ったタイプだな」とも思うようにします。

 

政治、経済、仕事、育児、家族、恋愛……などなど、あらゆる分野で次々と賛否が分かれる問題が出てきます。物議を醸す発言や非難を集める人物も次々に出てきます。自分なりの意見を持つことは大切ですが、常に心のどこかで「今の自分は“アリを罵った側”になっていないか」という疑いは持ちたいもの。人を判断する大切な基準にもなってくれます。

 

そして自分自身も、アリの勇気には及ばないにせよ、今の自分は場の空気に流されていないか、長いものに巻かれているだけじゃないかという疑いを持って、おかしいと思ったら異を唱えましょう。小さいことでかまいません。それが、自分らしくアリのままに生きるためのアリの一穴です。

 

【今週の大人の教訓】

「自分の考え」も「世間の常識」も、まずは疑ってみたほうがいい

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石原壮一郎

石原壮一郎

1963年、三重県生まれ。コラムニスト。月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』でデビュー。大人の新しい概念と可能性を知らしめ、以来、日本の大人シーンを牽引している。2004年に出版した『大人力検定』は...

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