勉強とは「ノリが悪くなること」? 深く勉強することの“不幸”とは?

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『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(千葉雅也/文藝春秋)

今の若者は空気を読み、乗るのが得意だといわれるが、個人的な実感としてもそう思う。空気を読まず、ノリが悪いオトナは若者に嫌われる。

勉強の哲学 来たるべきバカのために』(千葉雅也/文藝春秋)は、深く勉強することの“不幸”を説く。本書は、「深く勉強するというのは、ノリが悪くなることである」と繰り返す。ノリが悪いと、付き合ってきた人たちに嫌われ、不幸になる。

「勉強してノリが悪くなる」とはどういうことか。

それまで状況にうまく「乗れる」、良くいえば周りに対して共感的に生きてきた人が勉強を深めることで、これまでのノリでできた「バカ」なことが、いったんできなくなる。「昔はバカやったよなー」というふうに、昔のノリが失われる。

本書は、勉強とは「自己破壊」「変身」である、と言葉を換えて「勉強の破壊性」の恐ろしさを繰り返し述べる。では、なぜそれでも人は「自己破壊」「変身」が伴う勉強に取り組もうとするのか。それは、これまでの「ノリ」から自由になるため。

「ノリ」とは、その環境における「こうするもんだ」という行為の「目的的・共同的な方向づけ」。その環境で共感性を持ってノリを楽しむことができるが、一方で、同調圧力によってできることの範囲が狭められる。環境のノリに、無意識的なレベルで自分が乗っ取られている、というのだ。

その狭苦しさから逃れるために、人は勉強して、別のノリへと引っ越す。本書によると、環境から浮く「キモく」「小賢しい」存在になる。

本書の一例を挙げる。

誰かが『ドラゴンボール』を「懐かしいよねー」と言い始める。どのキャラが好きだったとか、思い出の場面とか、テンポよく話が流れている。ところが、一人が「ヤムチャと言えば“負けキャラ”だよね、悟空に負けたときはどうでこうで…」と、場のバランスを欠いて細部をやたら長々と説明し始める。

確かにこの場では『ドラゴンボール』が主題だが、それは思い出を共有し、親睦を深めることが主眼だった。しかし、一人は“まさしく『ドラゴンボール』の話”を始めてしまったために、場から浮いてしまった。

この現象は「知識を自慢したい」「承認欲求を満たしたい」ということより、「語れてしまうから、語ってしまった」ということ。溢れる言葉に乗っ取られたような状態だという。そして、そんな状態が快楽に感じてしまっている。知識が増えてくると、しばしば、このように場にそぐわない異物的な語を漏らし、「やらかして」しまう。だからこそ、人は勉強を恐れるのではないか、と本書は推測する。

しかしながら、それでも人はさらに勉強を深めていくことで、快楽を感じながらも環境のノリに合わせるようになる。そのとき、一周回ってノリに合わせている人と、たんに周りのノリに合わせている人を見分けるのは難しくなる。しかし、一周回った人は精神的な余裕を得ている。つまり、自由を獲得している。

本書は最後に「勉強はいつでも始められるし、いつ中断してもいい」と述べている。「自己破壊」「変身」をしたいタイミングで自由に深められるのも、勉強の大きな魅力だ。

文=ルートつつみ

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