【中年名車図鑑】納車1年待ち、逆輸入でプレミアム価格…異例づくしのスーパースポーツ

ライフスタイル

大貫直次郎

F1での活躍が目覚しかった1980年代後半のホンダは、レースに直結するようなスーパースポーツカーの企画を新規に立ち上げる。ミッドシップ2シーターの車両レイアウトにアルミ製のモノコックボディを採用したそのモデルは、フェラーリV8車など欧州製のスポーツカーに照準を合わせていた。今回は“our dreams come true”のキャッチを冠して登場したホンダ技術陣の夢の旗艦スポーツカー、初代NSX(1990~2005年)で一席。

 

 

【Vol.24 初代ホンダNSX】

FF(フロントエンジン・フロントドライブ)レイアウトの合理的なパッケージングで車種のフルライン化を着々と進めていた1980年代前半の本田技研工業は、新たな基礎研究としてMR(ミッドシップエンジン・リアドライブ)の設計に着手する。当初はあくまでも研究目的だったが、モータースポーツのF1での活躍が著しくなると、「F1と市販車をつなぐモデルがほしい」という声がそこかしこ(とくに要望が強かったのはアメリカ)からあがり始めた。結果的にホンダの首脳陣は、MRの駆動方式を使ったスポーツカーの開発にゴーサインを出した。

 

F1に参戦していたホンダが「F1と市販車の間をつなぐモデル」として開発

 

■オールアルミボディに新開発のVTECユニットを搭載

 

開発陣が狙ったのは、ミッドシップ車らしいシャープなハンドリングだった。そのためにはまず、軽量なボディを作らなければならない。そこでスタッフはボディ材質にアルミを使用し、さらにそれをモノコックで仕立てるという画期的な手法を採用する。試作車が出来た段階で実験ドライバーやホンダゆかりのレースドライバーらがテストし、彼等のアドバイスを受けながら世界初の量産オールアルミ製ボディを熟成していった。


搭載するエンジンは、当初2リッターの4気筒が計画される。しかし、中心市場であるアメリカを意識しなければならなかったため、レジェンド用エンジンを排気量アップした3リッターのV型6気筒OHCユニットを積むことに決定した。ここで開発チームに数奇な運命が訪れる。別のグループが開発していた新技術のVTEC(Variable Valve Timing&Lift Electronic Control System)が完成したのだ。可変バルブタイミングおよびリフト機構を採用したこのエンジンは、自然吸気でリッター当たり100馬力の高性能を発揮することが可能だった。「ホンダ初のミッドシップスポーツなのだから、高性能化につながる新技術はどんどん取り入れるべき」という指示が首脳陣から出され、開発陣は急遽、搭載エンジンの変更を余儀なくされる。製作したエンジンは2977cc・V型6気筒DOHC24V・VTEC(市販時の型式はC30A)。4バルブDOHC・VTECはヘッド回りが大きくなるため、当初の予定よりホイールベースを伸ばす必要があった。できるだけ延長量を縮めたい開発陣は、苦心の末にエンジンを傾斜させて積み込むことに成功する。ホイールベースの延長は30mmほどで済み、ハンドリング性能がそれほど損なわれることはなかった。

 

ミッドシップ2シーターのNSXは、ハンドリング性能を高めるためホイールベースを限界まで切り詰めた

 

■想像を絶する人気、納車まで1年待ち!?


1989年2月、アメリカのシカゴ・オートショーでホンダ初のミッドシップスポーツが公開される。車名はニュー・スポーツX(Xは未知数の意味)の頭文字をとって“NS-X”と命名された。同年10月には第28回東京モーターショーの場で日本デビューを果たす。


NS-Xが市販に移されたのは1990年8月で、まずアメリカでアキュラNSX(量産モデルは‐がなくなる)をリリース。その1カ月後には、E-NA1の型式をつけて日本での販売を開始する。生産は栃木県塩谷郡高根沢町に設けた専用工場が担当した(2004年4月以降は鈴鹿製作所のTDラインで生産)。


デビュー当初の日本でのNSX人気は凄まじかった。当時はバブル景気の真っ只中。目新しい高級スポーツカーの注文は殺到し、予約から納車までに半年から1年かかるという異様な状況に見舞われる。アメリカから逆輸入され、プレミアム価格で販売されるという事態まで発生した。

 

「誰にでも乗れるリアルスポーツ」を標榜、居住性の高い室内空間も特徴だった

■アイルトン・セナ、中嶋悟も開発に参加


一方で開発現場では、スポーツカーの命題である“進化”を目指して緻密かつ徹底した改良に心血を注いでいく。まず1992年1月にはユーザーの好みに応じた内装や外装色が選べる“カスタムオーダープラン”を創設。同年11月にはピュアスポーツモデルのタイプRを追加した。タイプRは運動性能をより際立たせる目的で数十項目にわたる徹底した軽量化を進め、最終的に約120kgの重量軽減を達成。同時に、ダンパーおよびスプリングの強化やアライメントの総合的な見直し、エンケイ製超軽量アルミホイール+高性能ラジアルタイヤの装着などによる足回りのリセッティングを行う。C30Aエンジンはクランクシャフトのバランス精度やピストン/コンロッドの重量精度の向上を実施。内外装では、レカロ社と共同開発した軽量フルバケットシートやMOMO製軽量ステアリングホイール、黒スウェード調素材+赤ステッチによる内装表地、カーボン調メーターパネル&イエローメーター指針、専用ボディ色のチャンピオンシップホワイト、メッシュ・エアインテークガード、赤色のHエンブレムといった専用アイテムを盛り込んだ。

 

92年に登場した「タイプR」。ベースモデル比で120kgもの軽量化を実現


ちなみに、タイプRのマスコミ向けの事前撮影会が同年10月に鈴鹿サーキットで催されたのだが、このとき、前日に行われたF1日本グランプリに出場したアイルトン・セナ選手と、すでにドライバーを引退してチーム監督に就任していた中嶋悟さんがひょっこりと姿を現した。タイプRの開発テストにも参加したという2人が、急きょサーキットの西コースで走行シーンを披露する。走行後には、ホンダの開発スタッフが最終完成形のタイプR、さらに当日会場に置かれていたタイプRベースのドイツADAC GT-CUPマシンの印象を2人に熱心に聞いていた。


1993年2月になると初のマイナーチェンジを敢行し、助手席エアバッグの採用など装備の充実化を図る。1994年2月には前16インチ/後17インチタイヤや強化ブレーキパッドの装着などを実施。1995年3月にはアメリカ市場での要望が多かったオープントップのタイプTを追加するとともに、電子制御スロットルのDBWやマニュアル感覚ATのFマチックを設定した。


1997年2月には、6速MTの採用やMTモデル用エンジンの3.2リッター化(C32B型3179cc)、スポーツドライビングの楽しさを際立たせたタイプSの追加などを行い、通称“Ⅱ”型のGH-NA2/GH-NA1型系に移行する。そして1999年9月には、安全・快適装備の充実を図ると同時に搭載エンジンを平成12年排出ガス規制適合のHONDA LEV仕様に変更した。

 

 

■進化を遂げながら15年間愛され続けた


多様なリファインを手がけていった開発陣。しかし、10年あまりに渡って大きな変更を加えない部分もあった。高い評価を受けていたエクステリアの基本デザインだ。NSXを21世紀型のスポーツカーに仕立てるためには、空力特性のさらなる引き上げを図って走行性能を高める必要がある――。そう結論づけた開発陣はついにスタイリングの刷新を断行し、2001年12月に通称“Ⅲ”型のLA-NA2/LA-NA1型系を市場に放った。


肝心のエクステリアに関しては、“スマート&スポーツ”をコンセプトに造形を一新する。まずヘッドライトは、点灯時の空気抵抗の低減や軽量化を狙って従来のリトラクタブル式から3次曲面形状のレンズカバーを用いた固定式に変更。同時に、ライト自体をより高効率なプロジェクタータイプに改める。さらに、ホイール周辺からドア面にかけての気流を整流するフロントバンパーやボディサイドのフラット化を高めるサイドシルガーニッシュ&ドアガーニッシュ、車体後部の乱流発生を最小限に抑えるサブスポイラー&リアバンパースカートなどを採用。Cd値(空気抵抗係数)で0.30、Cl値(揚力係数)で前0.055/後0.020というクラス最上レベルのエアロダイナミクスフォルムを実現した。足回りのセッティングも徹底的に見直す。タイヤサイズは前215/40R17、後255/40R17へと変更。ホイールにはワシマイヤー社と共同開発したBBSブランドの新アルミ鍛造ホイールを組み合わせた。また、新シューズの採用に合わせて4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションのチューニングを最適化。入念かつ厳しいテストを繰り返して設定値を決め、操縦安定性能やコーナリング時の限界性能を向上させた。


2002年5月になると、NA2系のピュアスポーツモデルとなるNSX-Rがデビューする。約7年振りに復活したRモデルは、従来と同様にサーキット走行を念頭に置いたシャシーセッティングや徹底した軽量化、高精度のエンジンバランス取りなどをいっそう推し進めるとともに、空力性能のさらなる向上をメインメニューに据えていた。具体的には、エアアウトレットダクト付カーボンボンネットフードとフィン付フロントアンダーカバーの装着によってフロント側の、リアディフューザーとカーボンリアスポイラーの装着によってリア側のマイナスリフトを達成。さらに、フロントバンパー開口率を低減させてボディ内部への空気流入を制限する。Cl値では全体-0.100/前-0.040/後-0.060となり、高速走行時にボディが沈みこむ力=タイヤの接地力を高めるダウンフォースが格段にアップしていた。


2003年10月のマイナーチェンジではイモビライザーの追加やCDチェンジャーの標準装備化(NSX-Rを除く)、新色のニューインディイエローパールの設定などを行ったLA-NA2/LA-NA1型系NSX。しかし、生産は2005年12月末をもって終了することとなった。全世界的に厳しくなる排出ガス規制や燃費基準にNSXを対応させるためには、莫大なコストが必要だったからだ。最終的にホンダ初のスーパースポーツは約15年間、累計1万8000台超を販売して車歴に幕を閉じる。第2世代のNSXの発売は、10年以上が経過した2016年まで待たなければならなかった。

 

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大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バ...

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