【中年スーパーカー図鑑】イタリアとアメリカの協演で誕生した「時代を超えたスーパースポーツ」

ライフスタイル

大貫直次郎

イタリアの新進スポーツカーメーカーであるデ・トマソは、1970年に同社の市販スポーツモデルの第3弾を発表する。ダラーラが設計した専用のシャシーにカロッツェリア・ギアがデザインしたボディ、そしてフォードの5.8リッター・V8エンジンを採用した新型スーパースポーツは、比較的安めの車両価格に年産4000台という大規模な量産計画でスタートした──。今回はデ・トマソとフォードがタッグを組んで開発したデ・トマソ・パンテーラ(1970年デビュー)の話題で一席。

 

 

【Vol.3 デ・トマソ・パンテーラ】


スーパーカーのカテゴリーで1967年からマングスタを販売していた新進メーカーのデ・トマソは、他社とは異なる新たなやり方で次世代のスーパースポーツを開発する方策を打ち出す。創業者のアレハンドロ・デ・トマソが個人的に親しかったフォード副社長のリー・アイアコッカとタッグを組み、スーパースポーツの新プロジェクトを立ち上げたのだ。

 

 

 ■デ・トマソとフォードの果敢なる挑戦


デ・トマソとフォードの協業は、両社の得意分野を活かす戦略で進められた。すなわち、シャシーや車両デザイン、トータルプロデュースなどはスーパースポーツの開発に長けたデ・トマソが、莫大な開発費用を要するエンジンの供給や最大市場の米国での販売網などはフォードが担うこととしたのである。まずシャシーに関しては、ダラーラが基本設計を手がけた専用品を採用する。サスペンションは前後ともにダブルウィッシュボーン/コイルとスタビライザーで構成。組み合わせるボディは量産性に優れるオールスチール製モノコックを導入し、基本デザインはデ・トマソの傘下にあったカロッツェリア・ギアのトム・チャーダが担当した。エッジを利かせたシャープで流麗なクーペフォルムにリトラクタブルライトを組み込んだ低いノーズ、フラットなエンジンフードと奥まった位置に設置した横長のリアウィンドウなど、随所でエキゾチックな雰囲気を醸し出す。内包するインテリアは、機能性を重視しながら各部でスーパースポーツらしいアレンジを採用。スライド機構付きのバケットシートやセンター部に縦配列した補助メーター(電流/燃料/水温/油圧計)、ゲートで仕切ったシフトなどで個性を主張した。

 

72年式パンテーラのインテリア。スライド機構付きのバケットシートやセンター部に縦配列した補助メーターがレーシーな雰囲気を盛り上げる


ミッドシップ搭載されるエンジンはフォードから供給を受ける351CID4V、通称“クリーブランド”。排気量を5763ccに設定した90度のバンク角をもつ水冷V型8気筒OHVユニットは、燃料供給装置にオートライト製4バレルキャブレターを組み込み、10.5の圧縮比から310hp/52.5kg・mのパワー&トルクを発生した。トランスミッションにはZF製のオールシンクロ5速マニュアルギアボックスをセットし、リミテッドスリップデフも装備する。操舵機構にはラック・アンド・ピニオン式を導入。タイヤは前185/70R15、後215/70R15サイズで、ブレーキにはバキュームサーボ付きデュアルサーキットの4輪ディスクを組み込んだ。車重はエアコン含で1330kg。ラジエターを前に、エアコンのコンデンサーをリアに配するなどの工夫を凝らした結果、前後重量配分は42:58と、ミッドシップスポーツカーとしてはほぼ理想的なレイアウトを実現した。


伊米合作の新世代スーパースポーツは、1970年1月に最終プロトタイプが完成し、同年3月にはイタリア語で“豹”を意味する「パンテーラ」の車名を冠して伊国モデナで発表。そして翌4月になって、米国ニューヨーク・オートショーで大々的に公開された。本格的な生産は1970年10月よりスタート。車両価格はスーパースポーツとしては比較的安め(米国で9000ドル)に設定し、アメリカ市場ではフォードの高級ブランドであるリンカーン/マーキュリーの販売網からリリースされる。当初の年間生産計画は1971年度に1000台、そして1972年度以降は4000台と、スーパースポーツとしては異例に多い台数を想定した。

 

 

■高性能バージョンとなる「GTS」をリリース

 

ラグジュアリーモデルの「パンテーラL」。扱いやすいようチューニングを施した


市場に放たれたパンテーラは、1971年度は計画台数に達したものの、1972年度は2000台レベルにとどまる。しかし、当時のスーパースポーツのなかでは十分に健闘している数字といえた。デ・トマソとフォードはパンテーラの人気をさらに高めようと、車種ラインアップの強化や細部の改良を積極的に実施していく。まず1971年終盤には、リアサスの剛性強化や制動性能のアップ、冷却系および電気系の改良といったリファインを行う。1972年には計器類のデザイン変更や給油口のリアクォーター部への移設などを敢行。同時に、ラグジュアリーモデルの「パンテーラL」をラインアップに加えた。パンテーラLは扱いやすさを向上させる目的でエンジンの圧縮比を8.6にまで下げ、最高出力を266hpとする。また、米国仕様では安全対策のために大型の衝撃吸収バンパーなどを装備した。

 

ハイパフォーマンスモデルの「パンテーラGTS」。前後フードやボディ下回りをマットブラックで仕立てたツートンボディカラーが特徴


1973年になると、後にパンテーラ・シリーズの重要なアイコンとなるハイパフォーマンスモデルの「パンテーラGTS」がデビューする。エクステリアでは前後フードやボディ下回りをマットブラックで仕立て、ツートンのボディカラーを形成。搭載エンジンはアメリカ向けが従来仕様のままで、欧州向けにはホーリー製キャブレターを組み込んだ高圧縮比仕様(350hp)を設定する。同時に、5速MTのギアレシオの見直しも図った。また、オプションとして前8J×15/後10J×15サイズのホイールとロープロファイルタイヤを装着したオーバーフェンダーモデルを用意する。さらにデ・トマソは、GTSをベースとしたグループ3仕様のレースモデル、「パンテーラGr.3」も製作した。しかし、1973年にはパンテーラに強い逆風が吹く。10月に勃発した第4次中東戦争に起因するオイルショックだ。原油供給の大幅減と価格の暴騰に対し、燃費の悪いスーパースポーツは軒並み販売台数を落とす。パンテーラに至っては、1974年度の生産台数が572台にまで激減した。結果的にフォードはパンテーラの販売中止を決定。これを受けてデ・トマソは、独自に生産と販売を企画することとなった。


一方でデ・トマソは、グループ4カテゴリーへの参戦も画策する。ベース車両はもちろんパンテーラGTSで、シャシーやサスペンション、ブレーキなどの機構を徹底して強化。前後フードとドアには軽量化を狙ってアルミ材を使用し、エンジンの最高出力は500hpにまで引き上げた。さらに、足回りには前10J×15/後13J×15サイズの幅広ホイールとロープロファイルタイヤを組み込み、それをカバーするためにFRP製のオーバーフェンダーをリベット留めする。モンスターマシンに進化した「パンテーラGr.4」は、ル・マン24時間レースなど数レースに参戦。目立った成績は残せなかったものの、デ・トマソの健在ぶりはアピールできた。また、Gr.4をロードバージョンに仕立てた「パンテーラGT4」も製造した。

 

モンスターマシン「パンテーラGr.4」のロードバージョン「パンテーラGT4」


1975年にはデ・トマソ本体が大きく動く。イタリアの老舗メーカーであるマセラティの大半の株式を、1973年からデ・トマソの傘下に入っていたベネリが買収したのだ。そして、マセラティのマネージングディレクターにはアレハンドロ・デ・マソが就任する。さらに、デ・トマソは翌76年になるとイノチェンティも傘下に収めた。意欲的にグループを拡大していったデ・トマソ。一方で主力車種のパンテーラは、1980年に新たなモデルを追加する。FRP製のワイドなオーバーフェンダーにフロントスポイラー、大型のリアスポイラーといった専用エアロパーツで武装した「パンテーラGT5」が登場したのだ。エンジンは扱いやすさを重視して330hpへとディチューン。インテリアには専用デザインのメーター類などを装備していた。さらに1984年になると、GT5の実質的なマイナーチェンジ版となる「パンテーラGT5S」がデビューする。前後フェンダーはスチール製のブリスター形状に変更。フロントスポイラーの造形はボディ本体とより一体化し、リアスポイラーのデザインも一新された。エンジンは標準の300hp仕様のほか高性能版の350hp仕様を設定。エンジン自体はモデル途中でクリーブランドからオーストラリア工場産の“ウインザー”に切り替わった。

 

 

■会社創立30周年に合わせて“Nuova”モデルが登場

 

デ・トマソ創立30周年を記念した新世代のパンテーラ、「ヌオーバ(Nuova)パンテーラ」


パンテーラの進化は、1990年代に入っても続いた。1990年開催のトリノ・ショーにおいて、デ・トマソ創立30周年を記念した新世代のパンテーラ、「ヌオーバ(Nuova)パンテーラ」を発表したのだ。車両デザインを担当したのは、鬼才と謳われるマルチェロ・ガンディーニ。アルミ製に一新したボディ本体にきれいに組み込まれた前後バンパーや流麗なブリスタータイプのフェンダー、2分割式とした大型リアスポイラーなど、随所で新世代スーパースポーツらしい演出を施した。組み合わせるシャシーにも改良が加えられ、スチールチューブによるリアサブフレームなどが導入される。搭載エンジンは生産性の向上を踏まえてマスタング用の302cu.in(4942cc)・V8OHV(欧州向け305hp/米国向け247hp)に換装。懸架機構や制動機構も、着実に性能アップした。NuovaパンテーラはパンテーラSIとも呼ばれ、1994年まで生産される。また、最終期にはタルガトップもわずかながら製造された。


基本設計の確かさに量産性に優れた構造、そしていつの時代にも魅力的に映るスーパースポーツらしい車両デザインを纏ったデ・トマソ・パンテーラ。そのクルマ造りと車歴は、スーパーカー史に燦然と輝いているのである。
 

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大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バ...

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