【今週の大人センテンス】安住アナがラジオで熱弁した「喜怒哀楽」の意味

人間関係

巷には、今日も味わい深いセンテンスがあふれている。そんな中から、大人として着目したい「大人センテンス」をピックアップ。あの手この手で大人の教訓を読み取ってみよう。

 

 

第71回 目からウロコの大胆で大切な真理

 

「喜怒哀楽っていうのは自分のためにあるのではない。隣人のための喜怒哀楽なんだ!」by安住紳一郎

 

【センテンスの生い立ち】

毎週日曜日10時からTBSラジオで放送中の「安住紳一郎の日曜天国」。パーソナリティの安住アナの視点と語り口が独特で、熱い支持を得ている。9月10日の放送の中で、リスナーからのメールをきっかけに喜怒哀楽の話題になり、そこで安住アナは持論を展開。熱い口調で、こう語った。アシスタントの中澤由美子さんとの会話は、徐々にヒートアップ。「名言ですね」という自画自賛や「あ、Twitter、つぶやくように!」という要求も飛び出した。

 

3つの大人ポイント

  • 笑いを誘う語り口にまぶしつつ、ギクリとさせてくれる
  • 忘れがちな人間関係の真理や大人の心得を伝えている
  • 自分の行動を振り返り、気を付けようと思わせてくれた

 

日曜日のお昼前、いつものようにラジオから流れて来る『安住紳一郎の日曜天国』(TBSラジオ)を聞いていたら、安住アナがなんだかいいことを言っていました。まずはその言葉を振り返りつつ、大人として何が学べるかを考えましょう。さらに、たぶん登場してくるであろう、こういう言い回しにケチを付けたがる人について、あれこれ勝手に思いを馳せてみたいと思います。

 

この含蓄のあるセンテンスが飛び出したきっかけは、女性リスナーからのメールでした。その彼女は、職場のパートさんからいつも食べっぷりをホメられて、「与えがいがある」という噂が広がり、社内のいろんなところでおやつをもらえるようになったとか。安住アナが「与えがいがある」という印象的なフレーズを繰り返し、アシスタントの中澤さんが「いますよね、そういう人ね」と合の手を入れます。

 

そこから安住アナは、大人になると「おいしい!」のひと言が遅くなったりしがちで、後輩とかにもそれはダメだと教えていると話します。続いて出てきたのが、「喜怒哀楽っていうのは自分のためにあるのではない。隣人のための喜怒哀楽なんだ!」という言葉。なるほど、そうですよね。「喜怒哀楽」というのは一見、極めて個人的なもののようですが、どう表現するかによって、目の前の相手や周囲といった「隣人」の気持ちに大きな影響を及ぼします。

 

心の中の「喜怒哀楽」は、もちろんどう感じようが自由ですが、何の躊躇も配慮もなく好き勝手に表現していいものではありません。おやつをもらったらおいしそうに食べるのが、くれた人に対するマナーであり大人としてのやさしさです。友達が彼氏に浮気されたと怒っていたら、仮にどうでもいいと思っても、いっしょに怒ったり悲しんだりするのが友達としての務め。自分自身も日頃から、たくさんの「隣人」のみなさんが考えて表現してくれている喜怒哀楽に、どれだけ助けられ、救われていることか。

 

番組の中では、その後、ダーツをやっている人で、喜怒哀楽を顔に出さない人は本当に腹が立つと、やや脱線気味の方向に話が展開。ひとしきり盛り上げたあとで、あらためて自分がさっき言った「喜怒哀楽は自分のものではない」という言葉に感心し、「あ、Twitter、つぶやくように!」「ここ、つぶやくところね。よろしく!」とお茶目に強調していました。

 

(番組内のやり取りなどは、印象に残ったラジオ番組を丁寧に文字に起こしているサイト「miyearnZZ Labo」の「安住紳一郎 喜怒哀楽の重要性を語る」を参考にさせていただきました。番組の中でも安住アナが「みやーんさんはここを文字起こしするように!」と要求して、中澤さんに「こらっ!(笑)。言及しすぎです(笑)」と怒られています)

 

笑いを誘う語り口にまぶしつつ、ギクリとさせてくれるところは、さすがしゃべりの名手の安住アナです。「喜怒哀楽」が誰のものかなんて、これまで考えたことはありませんでした。「自分のためにあるのではない」というのは、人間関係の真理であり大人として大切にしなければいけない心得です。自分は果たして「隣人」のために喜怒哀楽をしっかり使えているか、我が身を振り返って「ああ、気を付けなきゃ」と思わずにはいられません。

 

それはさておき、このセンテンスに対しては、たくさんの反発も予想されます。「喜怒哀楽はあくまで自分のためのものだろ」「人の顔色を伺いながら喜怒哀楽を表現するなんてバカバカしい」「そんなに気を遣いながら生きなきゃいけないなんてツライ」などなど。反発しいる当人はどこか得意気ですけど、なぜそんな意味のない主張を反射的にしてしまうのかを想像すると、ちょっぴり悲しい気持ちになります(※個人の感想です)。

 

喜怒哀楽はもともと本人のもので、最終的には自分自身に権限があることだというのは、言わずもがなの大前提。その上で、この言葉は「そうだよね、隣人のためという一面もあるよね」「自分のためにあると思わないほうが、むしろ自由になれるかもしれない」という別の真理に気づかせてくれます。そう思って目からウロコが落ちる気持ちよさを味わえばいい話なんですが、わざわざイチャモンをつける人は、何を求めているのでしょうか。

 

本人の自己認識とは裏腹に、周囲からは「うわー、出た出た」とウンザリした目を向けられがち。人の振り見て我が振り直せ。なぜそんなことをしてしまうのかを考えて、ネットの落とし穴にはまり込まないための反面教師にさせてもらいましょう。たいへん大きなお世話ではありますが、してしまう理由を想像してみました。

 

想像上の理由その1「周囲に自分の話を聞いてくれる人がいない」

→とにかく反応が欲しかったり自分の存在を主張したかったりするので、言葉の意味を受け止めるよりもイチャモンをつけるという誘惑に負けてしまう

 

想像上の理由その2「最近、対人関係で何か嫌なことがあった」

→対人関係で嫌なことがあったり理不尽な思いをしたりしたおかげで、せっかくの新しい知見を受け入れる余裕がなく、即座に拒絶反応を起こしてしまう。

 

想像上の理由その3「言葉を表面的な意味でしか受け取れない」

→「読解力がない」とも言えるが、本人には自覚がないので、堂々と的外れなリアクションをしてしまう。ネットがなければバレずに済んだのに……。

 

ほかにも、無駄にプライドが高いとかお腹が空いているとか、人それぞれいろんな理由があるでしょう。SNS上にはこの手のウンザリする反応があふれていますが、いちいち腹を立てるのも不毛な話です。「こういう理由があるんだろうな」と想像して、強引にやさしい気持ちになってしまうのがオススメ。「がんばって」と呟きながら、スマホやモニターに向かって、肩をポンポンと叩いているつもりで手を動かしてみるのも一興です。そういうことをすればするほど、自分は気を付けようと肝に銘じることもできるはず。みんなで力を合わせて、そこそこ平和なネットライフを送りましょう。

 

【今週の大人の教訓】

肝心の「当事者」には、こういう回りくどい皮肉はたぶん通じない

 

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コラムニスト

石原壮一郎

1963年、三重県生まれ。コラムニスト。月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』でデビュー。大人の新しい概念と可能性を知らしめ、以来、日本の大人シーンを牽引している。2004年に出版した『大人力検定』は...

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