【中年名車図鑑|初代 いすゞ・アスカ】GMのワールドカー戦略で生まれ、いすゞの独自戦略で成長した

車・交通

大貫直次郎

いすゞ自動車は1971年に米国のGMと資本および業務提携を結び、GMのワールドカー戦略の一端を担うようになる。最初のプロジェクトは“Tカー”で、いすゞ版ではジェミニとして発表。1970年代終盤に入ると新たな“Jカー”構想が立ち上がり、いすゞ版では「アスカ」の車名で市販に移された。今回は“飛鳥時代”にちなんで命名されたいすゞのミディアムサルーンの話題で一席。

 

 

【Vol.74  初代いすゞ・アスカ】

 

いすゞ自動車においては1974年11月デビューの初代ジェミニ(Tカー)から始まったGM主導のワールドカー戦略は、その後も着々と拡大展開を遂げていく。そして1970年代終盤には80年代に向けた新しいミッドサイズカー、戦略コード“Jカー”の開発が本格化した。新しい国際戦略車で重視されたのは、何よりも広い居住空間だった。そのために開発陣はパッケージ効率に優れたFF(フロントエンジン・フロントドライブ)レイアウトの導入を決定し、プラットフォームを新規に企画する。足回りは路面追従性のいい前マクファーソンストラット/後ミニブロックコイル付きトレーリングアームの4輪独立懸架を新たに設計。ボディタイプはセダンをメインに、各国の市場動向に即したスタイリングを採用した。


こうして完成したJカーは、1980年代に入ると各ブランドから相次いでリリースされる。アメリカではシボレー・キャバリエやキャデラック・シマロン、欧州ではオペル・アスコナ(アスコナC)やボクスホール・キャバリエ(キャバリエMarkⅡ)、オーストラリアではホールデン・カミーラなどの名で販売。そして日本では、1983年3月にいすゞ「フローリアン・アスカ」のネーミングで市場に送り出された。

 

 

 

■フローリアンの後継車として登場

 

GMのワールドカー戦略で生まれたが、スタイリングはいすゞのオリジナル。シックで品のいいデザインが特徴


アスカは日本での販売戦略上、フローリアンの後継モデルとして位置づけられた。そのため車名にはフローリアンの名も加えられ、フローリアン・アスカを名乗る。ちなみに、アスカの車名は“飛鳥時代”に由来する。この時代は、外国から伝来した文化を日本ならではの解釈や情感を加えて独自の文化に発展させたのが大きな特徴だった。GM主導のワールドカーをいすゞが独自の解釈で発展させる――そんな意気込みが車名に込められていたのだ。


アスカのシャシーはもちろん他のJカーと基本的に共通だが、スタイリングはいすゞのオリジナルだった。ボディ形状は4ドアセダンのみで、シックで品のいいエクステリアと空力特性に優れたフォルムを実現する。ボディサイズは全長4440×全幅1670×全高1375mm/ホイールベース2580mm。安定感を狙ったタンブルホームとワイドトレッドの組み合わせも印象的だった。内包するインテリアにも独自のアレンジを施し、上質かつシックなキャビン空間を創出。また、上級グレードには世界初の車速感応型操舵力可変パワーステアリング(VSSS)を装備していた。


ボンネット下に収まるパワートレインには、星座の白鳥座を意味し、「白鳥のようにロングツアラーで快適にクルージングする」という目標を込めた“シグナス”と呼ぶいすゞの新世代エンジン群を採用する。シグナス・シリーズはガソリンエンジンとディーゼルエンジンの2タイプで構成。ガソリンエンジンは150psの最高出力を発生する4ZC1-T型1994cc直列4気筒OHCターボを筆頭に、4ZC1-E型1994cc直列4気筒OHC(トータル・エレクトロニック・コントロール・キャブレター=I-TEC-C付き)/4ZC1型1994cc直列4気筒OHC/4ZB1型1817cc直列4気筒OHCの4機種、ディーゼルエンジンは4FC1型1995cc直列4気筒OHCとそのターボ付きの4FC1-T型(1983年8月に追加)という2機種、計6機種を設定した。


シグナス・シリーズの主なトピックを列挙していこう。ガソリンエンジンは軽量ピストン/ショートスカートシリンダーボディ/軽量フライホイール/ビルトイン式オイル&ウォーターポンプなどの導入により、国産2Lクラスの最軽量を実現。また、世界初のターボ過給圧エレクトロニックコントロールやクラス最小(タービン径50mm)の高効率ターボチャージャー、ミックスチャージェット式急速乱流燃焼方式、日本初のオイルパンフローティングシステムといった先進機構を採用する。ディーゼルエンジンに関しては、新開発のインタークーラー付きターボ機構の導入やノイズおよびバイブレーションの低減などが特徴だった。組み合わせるトランスミッションには5速MTと3速ATを用意する。ちなみに、1983年10月にはJARI谷田部テストコースにてチューンアップした4FC1-Tエンジン(89ps→120ps)を積むアスカ2000ディーゼルターボが24時間&5000kmトライアルに挑戦し、平均205.38km/hの速度記録など、13のクラス新記録を樹立。また、同年開催のRACラリーには4ZC1-Tエンジンを搭載する2000ガソリンターボが参戦し、見事にクラス優勝(総合39位)を成し遂げた。

 

シックな雰囲気のインテリア。上級グレードは世界初の車速感応型操舵力可変パワーステアリング(VSSS)を装備

■いすゞ渾身の高性能バージョン「イルムシャー」を投入

 


デビュー当初はGMワールドカーの一車種としての印象が強かったアスカだが、そのイメージは時を経るに連れて変わっていく。いすゞオリジナルの技術や特異な車種を相次いで市場に投入したからだ。まず1984年9月には、NAVi5搭載車を発売する。MTとATのいいとこ取りを目指したNAVi5は、世界で初めて市販化された乾式クラッチ式電子制御オートマチックトランスミッションだった。5速のマニュアル変速を電子制御で自動変速するこのシステムは、MTと同じ機構でATの利便性を実現した新技術として脚光を浴びる。シフトパターンはMTと同様にH型で、1/2/D3/D5/Rを表示(後にD4ポジションを追加)。D5に入れれば、スロットル開度や車速などをコンピュータが感知し、1~5速のあいだの最適ギアを自動的に選択した。“第3のトランスミッション”と騒がれたNAVi5だったが、結果的にはラインアップから消えることとなる。当時の電子制御技術では変速が的確に行えず、アクセルワークなどにもコツを必要としたからだ。ただし、自動制御MTのコンセプトは後に発展を遂げ、世界中の自動車メーカーに採用される。また、いすゞではNAVi5の進化版が「スムーサー」シリーズとして同社のトラックに搭載されることとなった。

 

ドイツのイルムシャー社が足回りや内外装を手がけた「アスカ2000イルムシャー」


1985年7月になるとマイナーチェンジを実施し、内外装の意匠変更によって新鮮味をアップさせる。同時に、車名を「アスカ」の単独ネームに切り替えた。そして同年11月には、ドイツの有名チューナーのイルムシャー社が足回りや内外装を手がけた「アスカ2000イルムシャー」と称するスポーツモデルを設定する。イルムシャー社というとオペル車のチューナーとしても有名だが、いすゞ版を作るに当たっては「GMやオペルの仲介はなく、独自のルートで交渉した」と、当時のいすゞスタッフは語る。さらに、「ワールドカーがベースでも、アスカはいすゞのオリジナル車。独自性を打ち出すためにも、いすゞならではのスポーツモデルがほしかった」と付け加えた。搭載エンジンは4ZC1-Tユニットで、ボディカラーにはカメオホワイト/ビビッドレッド/ゲールウインドブルーの3タイプを設定。また、外装には専用デザインのエアロパーツやフルホイールカバー、角型4灯ハロゲンヘッドランプなどを、内装にはモモ製4本スポーク本革巻きステアリングやレカロ製バケットシートなどを組み込んでいた。


アスカはその後も独自性を強調するための仕様変更や新グレードを設定しながら、地道に販売を続けていく。そして、1989年3月には生産を終了。1年以上が経過した1990年6月に次世代の「アスカCX」へと移行する。しかしその2代目は、当時業務提携していた富士重工業からのOEM車(初代レガシィ・セダン)だった。オリジナリティの主張に力を注いだアスカは、2代目になってその余地を挟めないクルマに変わり、さらにいすゞの乗用車生産撤退のとば口ともなったのである。

 

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大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バ...

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