日給1300円も普通!? 非正規・派遣が崖っぷちになる年齢は...

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■東大卒で元アナウンサーのライターによる『東大卒貧困ワーカー』は、著者が体験した非正規労働の実態が赤裸々に明かされる衝撃の書。なかでも特筆すべきは、高齢の派遣労働者が直面する過酷な現実だ

 

『東大卒貧困ワーカー』(中沢彰吾著、新潮新書)の著者はノンフィクションライター。1956(昭和31)年生まれということなので、今年で62歳ということになるが、まず特徴的なのはそのキャリアだ。

 

東京大学文学部卒業後、アナウンサー、記者として勤務するも、そののち退社。以後は派遣労働者として働きながら、ライターとしての活動を続けているというのである。

 

 

筆者はこの4年、ライターとしての仕事の他に、非正規の派遣労働者として働いてきた。もともと大阪の毎日放送でアナウンサーとして勤務していた筆者が、このような境遇になったのは、決して不祥事とか当節流行の不倫が原因ではない。身内の介護というよくある事情から、こういうことになったのだ。以来、取材と実益を兼ねて非正規雇用の現場に労働者として立ち続けている。(「序章 働けば働くほど不幸になる」17ページより)

 

さらっと書かれてはいるが、著者の年齢を考えればなおさら、それが決して楽なことではないだろうと想像できる。事実、労働の現場で見聞きする状況は厳しく、アベノミクスの恩恵など感じられないことばかりだという。

 

例えば、日給3000円、2600円、1300円といった仕事は普通に存在しているそうだが、時給換算すれば最低賃金の半分以下ということになる。それどころか、実質ゼロのような現場もあるというのだ。

 

しかも問題は、それらが違法なビジネスではなく、いずれも2016年時点での日本において、人材企業からの求人メールや、ハローワークの求人票などで募集された就労条件だということ。働く側の事情や権利が、まったく考慮されていないのである。

 

 

ハローワークによれば、21世紀になる前はこうした極端な低賃金求人はほとんどなかったという。全日勤務で8時間分の賃金が支払われていた。だが、近年、経営側の都合だけで極端な労働時間の短縮や過酷なノルマが設定されるようになり「この賃金で労働者は最低限の生活を維持できるのか?」という配慮は雲散霧消した。(「序章 働けば働くほど不幸になる」18ページより)

 

日本企業の海外での生産の拡大に伴って「日本人は中国、インド、東南アジア諸国の人々と対等な条件で競争せねばならないから、これからは賃金が上がらない、むしろ下がるのが当然」だという説があるというが、それは上記のような現実と見事にリンクする。

 

事実、著者が実際に受け取った、グローバル展開する世界的ネット通販企業の求人からも、そのような考え方を読み取ることが可能だ。

 

 

「2016年3月28日。夜勤募集。倉庫内作業。19時に渋谷に集合後、ワゴン車で小田原へ移動。勤務は翌朝6時まで(集合から11時間後)。終業後の都内への送迎はなし。交通費なし。食事なし。日当1万円。週2日以上できる方限定。宿泊便宜なし」(22ページより)

 

11時間拘束の徹夜勤務で日当1万円とは、あまりに大ざっぱすぎる違法な就労条件だと著者は指摘する。そもそも本来であれば、基本時給に深夜割り増しと残業手当を明示しなければならない。

 

しかも割り増し分を考慮すると、総額1万円なら基本時給は800円程度となる計算で、これは当時の神奈川県の最低賃金905円を下回る。「終業後の都内への送迎はなし」、すなわち送迎は片道だけだということだから自費で戻らなければならないが、小田原から東京まではJR利用で約1500円かかる。すると手取りはさらに減って8500円。時給に換算すると正味700円ということになる。

 

では、なぜこうした分かりにくい書き方をするのだろう? 著者によれば、目的は「錯覚」だ。昼間の8時間労働で、非正規はなかなか日当1万円を稼ぐことができない。「それと比べれば好条件だな」と錯覚させることを狙った条件提示だというのである。

 

 

夜に駅に集まりワゴン車で送り込まれると聞くと、昭和のタコ部屋労働を彷彿とさせる。連日の徹夜勤務というのは、中国内陸部の農村から上海などの大都会に出て、地下室に住みながら工場で働く、中国の出稼ぎ労働者と同じ条件だ。

 

拘束時間といい賃金といい待遇といい、あらゆる面で違法な労働条件で、欧米であれば政府や州の労働当局が動き、社会問題になるのではないか。行政の規制が緩く労働者が従順という日本ならではの現場だろう。このネット通販企業はこの後も非正規倉庫要員の大量募集を何度も繰り返している。(23ページより)

 

仕事のため、数年前から月に数回のペースで小田原を訪れてきた私は、このネット通販企業の名を表示した大型バスが川沿いの倉庫に向かう光景を何度も目にしている。ワゴン車ではなくバスだったので、乗っていたのは地元の労働者だったのかもしれない。が、いずれにしても、その光景と、著者による上記の文章は見事に結びついてしまうのだった。

 

さて、本書においては著者が実際に見て、体験した「現実」が赤裸々に明かされており、そのひとつひとつが衝撃的だ。そして現実を知れば知るほど、その背後にある「システム」が諸悪の根源であることが分かる。

 

立場が弱く、人材派遣企業に頼るしかない派遣労働者について、厚生労働省は実態調査を2012年に実施したがそれから4年間実施していない。東京都では独自に2014年に実施した。これらの調査は聞き取りで行われている。労働者の側は口をそろえて3つの問題を指摘したという。「賃金」と「仕事内容」で嘘をつかれることと、人材企業や勤務先の正社員による「いじめ、虐待」だ。(169ページより)

 

派遣労働の現場についての実態をメディアで明らかにしたのは著者が初めてではなく、これまでにも多くの労働者が自らのつらい経験を行政に訴えていた。ところが現実問題として、厚労省は人材派遣企業の指導には及び腰であり、人材派遣企業も監督官庁に協力的ではないのだそうだ。

 

例えば日雇い派遣の原則禁止条項などは、制定から3年も経過した2015年秋頃からようやく守られるようになったが、それは同時期に厚労省が事前連絡なしの立入検査を始めたからで、それまでは完全に無視されていたというのである。

 

 

■「一億総活躍」で高齢者の労働力は不可欠なはずだが

 

政府は2015年に、「一億総活躍」というスローガンを掲げた。何度見ても不快なフレーズだが、この背後にあるのは、現状のままでは近い将来、国の財政、医療、年金破綻が必至だという事実である。

 

つまり破綻を回避するためには、高齢者にもっと働いてもらい、税や年金の徴収額を増やし、年金支給額を減らさなければならないということだ。

 

今や日本国民の4人にひとりが65歳以上。その約3300万人が労働市場から排除されれば、結果として若い世代にしわ寄せが行く。働ける人が働かず、若者の負担ばかりがどんどん増えていく状況を放置してよいわけがなく、高齢者の労働力は不可欠なのである。

 

ところが高齢者の働く機会が多いかといえばそうではなく、それどころか、東京、大阪などの大都市圏では、非正規に定年があるのだそうだ。

 

百貨店やスーパーなどの小売業界では、お中元やお歳暮のシーズンなどに大々的に非正規を募集するが、どこも横並びで、60歳以上は電話で申し込みがあった時点で即座に断っているのだという。

 

著者がその理由を採用担当者に聞いたところ、返ってきたのは「昔からの慣習です」という答え。では高齢者の就労機会を増やすという国策に弓を引くんですねと問うと、「どうぞ面接に来てください」とのこと。

 

つまり絶対にドアの中には入れないぞという扱いではなく、「とりあえず排除しておこう」という程度の仕切りだということ。それでも最初の一声で必ず断るのだから、高齢者は必然的にダメージを受けることになる。

 

 

還暦だが健康診断の血液検査の数値はすべて正常で、裸眼視力1.2。100mを12秒台で走れる体力の、元アナウンサーの筆者が、職業紹介でことごとく拒否された絶望の1日の事例を列挙してみよう。

 

その1、コールセンターの電話オペレーター。時給1300円。マニュアルに従ってユーザーに機器の使い方を教える業務。人材企業の若者は特に理由は言わず、「あんた、自分が何に応募したかわかってる?」と苦笑しつつ電話を切った。年齢と性別だけで対象外と即断されたようだ。ちなみに人材企業の社内資料では電話オペレーターは「女性・35歳まで」と明記されている。

 

その2、水道の水質検査のためのサンプリング。時給1200円。ライトバンでマンションなどをまわる。年齢は40代前半まで、接客で高齢者は相手に不快感を与えるから紹介できないとのこと。なぜ高齢者は不快なのか? 外見なのか、声なのか、性格なのか、その説明はなし。

 

その3、外車ディーラーで顧客の車の移動係。時給1100円。年齢は30代前半まで、理由は女性のお客様に印象が良い人という条件があるため(ホストか?)。筆者は20年間無事故無違反で左ハンドルの大型乗用も経験ありとアピールしたが「高齢だといろいろ臭いもするし」と認められず。

 

その4、宅配トラックの駐車違反対策の同乗者。時給1000円。40歳未満限定。ドライバーとふたりきりで長時間行動するのでドライバーより年下だけ。年寄りは偉ぶって運転手とトラブルになり、しかも激昂して途中で逃げてしまった人もいたので絶対に乗せない、とのこと。

 

その5、公営屋内プールの監視員。時給950円。特に年齢は問わないが、若者らしい見かけの人限定。過去に子供連れの母親から「あんなくたびれた人で大丈夫か」とクレームがあったため。クレームは一件だけとのこと。(174〜176ページより)

 

「非正規の崖っぷち」は59歳だったそうで、60歳の誕生日を過ぎた途端、案件のほぼすべてについてお断りメールが届くという。しかし、その「お断り」の判断基準が、すべて場当たり的なものであることは明らかだ。

 

本書の終章には、ベラルーシのノーベル賞作家、スベトラーナ・アレクシエービッチ氏の言葉が紹介されている。氏が、福島の原発事故を取材しながら、日本人に接して驚いた印象を語ったものだ。

 

 

「全体主義の長い文化があった我が国と同じく、日本社会には抵抗という文化がない」(東京新聞2016年11月29日)

 

日本の非正規労働者は、確かに不思議なほど従順だ。だが、抵抗しないのではなく、支配層(政財界)によって抵抗する術を奪われたからだ。労働階級制によって孤立し、差別された労働者が違法な扱いに抵抗すれば、迫害、追放されてタダ働きを強いられ、労働条件が最悪の郊外のタコ部屋労働に落ちていく。人権を主張したらシベリアのラーゲリ(強制収容所)に送られたロシア人と似たような境遇だ。(「終章 働き方改革への提言」187ページより)

 

労働現場の現実について、ひとりひとりが自分ごととして考え、抜本的な打開策を見つけ出さなければ、今後はさらに深刻なことになるのではないだろうか。

 

 

『東大卒貧困ワーカー』 中沢彰吾 著  新潮新書

 

[筆者]

印南敦史

 

1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。新刊『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)をはじめ、ベストセラーとなった『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。

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