沢田研二ドタキャン騒動。日本はアーティストに対するリスペクトが足りない

エンタメ

 

10月17日、沢田研二さんがさいたまスーパーアリーナでの公演を直前でキャンセルした問題が波紋を呼んでいる。

 

僕は信頼できるファンの方たちのSNSからおおよそリアルタイムで事態の経緯を見守っていたが、「反原発署名を会場から断られたから」「体調不良」など世間ではさまざまな憶測が飛び交うことになった。僕も判断に迷っていたが、翌日の沢田さん本人による記者会見を観て合点がいった。

 

さいたまスーパーアリーナの中止について、この責任のすべては僕本人と事務所のCO-CoLOとイベンター(主催者)のエニーさん、三者の責任でもってこういう事態に至りました

 

なによりも昨日当日、ライブを楽しみに足を運んでいただいたお客様皆さまに一番ご迷惑をおかけしたし、そのことについては心からお詫び申し上げます

 

ドタキャンをしていいとは思ってないけど(中略)イベンターと動員に関する契約があった

 

僕はやるのが目的ではない。やるなら(会場を)一杯にしてくれ。一杯にしないと僕はやりませんと。だからそれは無理だよというなら断ってください

 

(事前に)イベンターから9000人と聞いていたのに実際の動員は7000人だった

 

人の受け取り方、賛否はわからないが、理由としてはこれ以上ない明快な理由だ。

 

これまで芸能界、興業界のシステムと戦い続けてきた70歳の老アーティストとしてもう妥協はしたくない……言葉端からは悔しさがにじんでいたが、自分の立場と考えを堂々と表明する姿はさすがに昭和を代表するスーパースターの貫禄を感じさせた。

 

 

■すべてはイベンターの手落ち

 

コンサート興行のありかたはアーティストの方針や活動規模により様々な形式があって複雑だ。

 

一般の方はコンサートや公演はすべてアーティスト側の責任によりおこなわれていると錯覚してしまいがちだが、今回のような全国ツアーは各地にいるイベント業者がアーティスト側とさまざまな条件を交渉しながらその実現に向けて動いてゆく。

 

「呼んでやった」「やらせていただいた」……どう思うかはイベント業者次第だが、一部にアーティストの人気にあぐらをかいてしまう業者がいることもたしかだ。今回の後始末にしても、本来ならイベンターも積極的に取材対応しなくてはならないケースだが、結局矢面に立つはめになったのは沢田さん。

 

しかし契約を守れなかったのはあくまでイベンター側なのだ。“動員”という一般にはわかりにくい概念が争点になったから賛否両論出ているが、もしこれが“ギャラ”だったらどうだろう? 100万円払うと言っていたのに当日になって「お金が都合できなかったから50万円にしてほしい」と言われたらほとんどのアーティストは即座に会場を後にするはずだ。会社勤めやアルバイトをしている方も、よくわかる感覚だと思う。それと同じことを今回のイベンターはしてしまっているのだ。

 

 

■ドタキャンの受け取り方は国や人によって違う

 

欧米ではコンサートのドタキャンは日本より頻繁におこなわれているようだ。マイケル・ジャクソン、マドンナ、レディ・ガガなどドタキャンしたことのないスターはいないのではないかと思うほどだし、ポール・マッカートニーに至っては日本に限っても約20回はドタキャンしている。なかにはどうやら二日酔いでキャンセルしたと思われる回まである。

 

理由はともかくアーティスト本人が「万全の状態でのぞめる」と思わない限りコンサートは開催されないし、それがある程度容認される土壌が欧米にはあるわけだ。人々の心を豊かにし、社会的なメッセージを発信するアーティストという存在をリスペクトする文化が培われているのだと思う。

 

デヴィ夫人さんは今回の件についてマスコミに問われて「私だったら契約がどうあれファンが来ていたら出ます。歌手がそんなに偉いの?」などと発言していた。歌手に対する潜在的な軽侮がそんな言葉を生むわけだ。

 

作家の百田尚樹さんもTwitter上で「沢田研二はコンサート会場でも、反原発の話を延々とするらしい。」という思想と思い込みありきのデマを垂れ流していたが、この人も「歌手は歌だけ歌っとれ!」と言いたいのだろう。

 

一方で、松本人志さん(『ワイドナショー』コメンテーター)、坂上忍さん(『バイキング』司会)、国分太一さん(『ビビット』司会)、加藤浩次さん(『スッキリ』司会)、ダイヤモンド✡ユカイさんらが同じ舞台に立つ芸能人、アーティストとして沢田さんの行動に一定の理解を示していたのは印象的だった。

 

 

■60歳でやっと自由に活動できるようになった

 

もともと沢田さんは周囲から“時計の針”と揶揄されるくらい事務所から与えられた仕事を忠実にこなすタイプだったらしい。睡眠は移動中のみ、休みなんて年に数日しかないような働きづくめの環境で10代、20代を過ごした。30代半ばで独立し、個人事務所を設立してからも経営者としての苦労やレコード会社などとの兼ね合いがあり、思うにまかせないことが多かったようだ。彼の人生は我慢や妥協を強いられることの連続だったに違いない。

 

僕が沢田さんのコンサートに通い始めたのは1999年だが、その頃はちょうど動員が不振な時期で、地方のホールだと2階席がほとんど埋まらないこともままあった。本人からしたら不本意だったに違いないが、嫌なそぶりなど見せず全力のステージングをこなしておられたのを覚えている。

 

沢田さんがようやく自由に、自分の意志を前面に押し出して活動できるようになったのはせいぜいここ10年くらいのことだろうと思う。テレビにこそ出ないが還暦記念のドームコンサートや反原発運動、ザ・タイガース再結成など話題にのぼる機会が多くなり、動員も一時のことを思うと飛躍的に伸びている。

 

沢田さんは記者会見で「あと10年はやるという気持ち。(中略)僕の音楽人生にとってはもう後がない」と言った。長いアーティスト人生のエピローグにあたり、もう我慢や不本意なことはしたくないと思って当然だ。いつも満員のお客さんの中で歌っていたい……それは彼自身の50年以上演じてきたスーパースター“沢田研二”という役柄に対してのリスペクトであり、ひいてはこれまで支えてくれたファンに対してのリスペクトでもあると思う。

 

 

■70歳で掲げた情熱の赤い旗──目標はさいたまスーパーアリーナ満員

 

問題後、初めてのコンサートになる10月21日、大阪府狭山市のSAYAKAホールで沢田さんは

 

僕は旗をあげました。白旗ではありません。情熱の赤い旗です。(中略)さいたまスーパーアリーナを満員にできる力をつけたい。これをモチベーションにあと10年はやる

 

とファンに宣誓した。今回の問題や一連の報道にしたって、結果的には「沢田研二は70歳でまだ7000人も動員できるのか!」と世間に知らしめるいいPRになったと思っている。あの強いハートがある限り沢田さんはきっと目標を成し遂げるだろう。昭和を代表するスーパースターの、これまでにまして自由で精力的な音楽活動を期待したい。

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シンガーソングライター/音楽評論家

中将タカノリ

シンガーソングライター、音楽評論家。2005年、加賀テツヤ(ザ・リンド&リンダース)の薦めで芸能活動をスタート。深い文学性と、歌謡曲、アメリカンポップスをフィーチャーした音楽性で独自の世界観を構築している...

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