居酒屋で見かける「コの字カウンター」は吉野家発祥だった!?

ライフスタイル

後藤拓也

 

■吉野家が生まれ、親しまれるようになったのは……

 

吉野家が誕生したのは1899年のこと。当時、東京都中央区日本橋に存在していたという魚市場に、個人商店として創業されました。しかし、1923年に起きた関東大震災の影響で、魚市場が築地へと移転したことに伴い、1926年からは吉野家も同地に移転したのです。

 

吉野屋が3度目の再スタートを余儀なくされたのは、1945年の東京大空襲によって再び東京が焼け野原となり、吉野家の店舗も消失してしまったから。終戦後は、すぐに屋台で営業を再開し、職人たちに牛丼を振る舞うようになったと言います。そして1947年からは、店舗の営業を再開することができたそうです。

 

 

■居酒屋などでも見かけるコの字カウンターは……

 

1947年に築地で開かれたこの店舗が、2018年に惜しまれつつ閉店した吉野家・築地1号店。店の特徴であり、今では居酒屋などでも目にすることの多いコの字をしたカウンターは、吉野家が発祥と言われています。

 

当時の牛丼は、鰻重と並ぶような高級品でありながら大人気で、客足が絶えなかったのだとか。極限まで無駄が省かれたこのレイアウトは、次々と訪れる客のもとに、一刻も早く牛丼を届けようという、高いプロ意識の表れなのでしょう。

 

また、築地1号店には、この店舗限定の特徴もありました。それは、壁に掛けられた箸置き。狭い店内を効率よく使うため設置されていたもので、同店舗のシンボルともなっていました。

 

 

■築地から豊洲の店舗に引き継がれたものとは……

 

豊洲市場の開場に合わせて、吉野屋も移転することになりました。移転に際しては、築地1号店から豊洲市場店へ、引き継がれたものがいくつかあるそうです。

 

それは、創業当時の吉野家をイメージして作られた木彫りの作品や、築地で営業していた吉野家を描いたという絵画、店舗外に置かれた吉野家の歴史とこだわりを説明した看板など、吉野家のこれまでを象徴する品々。自社の伝統を重んじる吉野家の姿勢が表れていますね。

 

また、築地1号店の鍋に残されていた牛丼のタレも、豊洲市場店に持ってこられたとのこと。伝統ばかりではなく、しっかりと味も受け継がれたようです。

この記事が気に入ったらいいね!しよう

citrusの人気記事をお届けします

SNSで記事をシェア

後藤拓也

編集プロダクションA4studio(エーヨンスタジオ)所属のライター。1992年、東京都生まれ。生きている時間の大半はラジオを聴いている。将棋の対局を観戦したり、野球やサッカー、プロレスを見たり、人文書を読んだり...

後藤拓也のプロフィール&記事一覧
ページトップ