「いいレースだった」「やっと勝てた!」 ホンダF1復帰後初優勝の立役者は誰だ

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いいレースだった。ホンダが勝ったのだからなおさらだ。6月30日に行われた2019年F1第9戦オーストリアGPで、マックス・フェルスタッペンがホンダのパワーユニットを積むアストンマーティン・レッドブル・レーシングのレッドブルRB15をドライブし、優勝した。2015年にF1に復帰したホンダにとって、復帰後初めての優勝である。


最後の優勝は2006年8月に行われたハンガリーGP(ホンダRA106/ジェンソン・バトン)で、13年ぶりの優勝だった。ホンダは1964年にF1に参戦し、1968年にいったん活動を休止。この間、1965年のメキシコGPで初勝利を挙げ、1967年のイタリアGPで2勝目を挙げている。


1983年に復帰すると、ターボエンジンの威力を見せつけて快進撃を果たした。圧巻だったのは、マクラーレンMP4/4とアイルトン・セナ、アラン・プロストの組み合わせで臨んだ1988年で、16戦15勝を果たした。1990年、プロストに替わってゲルハルト・ベルガーがマクラーレンにやって来る。この年、1984年にホンダに入社した田辺豊治がF1プロジェクトに異動になり、ベルガー担当のエンジニアになった(これ、伏線です)。


ホンダは1992年シーズン限りで、F1プロジェクトを休止。1983年から1992年までの10シーズンで69勝を挙げた。7年のブランクを挟んで2000年に復帰すると、2008年まで参戦。9シーズンで挙げた勝利は、2006年の1勝のみである。2015年にパワーユニットサプライヤーとしてF1に復帰し、5シーズン目を迎えている。

 

 

 

■マクラーレンと違い「オープンマインド」な関係

 

 


2015年からF1に復帰する際は、マクラーレンをパートナーに選んだ。かつての栄華よ、もう一度、というわけである。ところが、思いどおりにならなかった。マクラーレン側にも責任はあったが、ホンダ側にもあった。壊れてまともに走らなかったし、パワーも足りなかった。ドライバーからは度々、厳しい言葉を投げかけられた。かけられても仕方のないような状態だった。


マクラーレンとのパートナーシップは2017年シーズン限りで解消し、2018年からは、レッドブルの姉妹チームであるトロロッソと組むことになった。この年の1月1日に、田辺がF1テクニカルディレクターに就任した。田辺は、マクラーレンとホンダの関係を次のように総括した。

 

 

「マクラーレンもホンダも、お互いがお互いの専門分野に集中してやれば、うまくいくんじゃないかと思っていたところがあります。マクラーレンはホンダをリスペクトし、ホンダはマクラーレンをリスペクトした。その結果、コミュニケーションが非常に良くなかった」


リスペクトすると言えば聞こえはいいが、ホンダ側からすれば口出しできるような雰囲気ではなかった。「しっかりパワーユニット作ってくれよ。あとはこっちでうまく使うから」みたいな状況だったのだろう。そうした反省を踏まえて、「トロロッソとはフルオープンの関係でやろうと決めた」と、田辺は2018年秋に証言した。そして、2019年からパートナーに加わるレッドブルについて、次のように説明した。


「トロロッソとやっているオープンマインドな関係は、すでにレッドブルと築くことができています。それが大きなアドバンテージになっています。(レッドブルのようなトップチームと組むことは)プレッシャーに違いありませんが、プレッシャーに負けそうと言っているようでは、この世界に入らないほうがいいと思います。勝って初めて、会社もファンも認めてくれる。F1は、それが明快にわかる世界。その意味で、レッドブルと組めたことに感謝しています」

 

 

2番手からスタートしたフェルスタッペンは、スタートに失敗して7番手に順位を落とした。前にいるのは競合ぞろいである。押さえ込まれて終了と予想するのが普通だが、オーストリアGPのフェルスタッペンは違った。ホンダのパワーユニットも頼もしかった。序盤で立て続けに2台を料理して5番手に上がっていたフェルスタッペンは、71周レースの折り返しを迎えた頃には4番手を走っていた。そして、50周目にフェラーリのセバスチャン・ベッテルを追い抜き、3番手に浮上。ここからは、フェルスタッペン・ショーだった。


テレビ観戦していたなら、「この勢いならトップに追いつく、いや、さすがに無理?」とジリジリしながら、画面に釘付けになったことだろう。56周目、フェルスタッペンはメルセデスAMGのバルテリ・ボッタスをあっさりかわして3番手に上がる。35℃に達した気温(路面温度は50℃をゆうに超えた)で、メルセデスのパワーユニットはオーバーヒートの兆候に悩まされていたのだ。ホンダのパワーユニットも苦しいことに変わりはなかったが、鞭をくれるだけの余力が残っていた。


この時点でトップを走るシャルル・ルクレール(フェラーリ)との差は約5秒あったが、フェルスタッペンはみるみる差を縮め、68周目にいったん追い抜きを仕掛ける。このときはルクレールが粘って順位を取り戻したが、フェルスタッペンは翌69周目の同じコーナーで仕掛け、ついに前に出た。サーキットにはフェルスタッペンの地元オランダから大勢のファンが応援に駆けつけており(おそろいのオレンジのシャツを着ていた)、フェルスタッペンが追い抜きを成功させて順位を上げるたびに大きな歓声が沸いた。

 

 

レース後、表彰式に姿を現したフェルスタッペンは、「ホンダのおかげ」とばかり、レーシングスーツの胸にあるHマークを両手で指さして勝利を誇った。金曜日の段階で勝利の予感を感じとっていたチームは、「勝ったら田辺を表彰台に上げる」と事前に決めていたが、知らされていなかった田辺は頭の中が真っ白のまま表彰台にいた。


トロフィーのプレゼンターとして、オーストリア出身のベルガーがいた。ベルガーは2位のルクレールにトロフィーを渡し、表彰台のドライバーと順に握手をかわすと、わざわざ引き返し、両手を大きく広げて現役時代に苦楽を共にした田辺と抱擁した。

 

 

チーム関係者、ホンダ関係者の言葉を待つまでもなく、オーストリアでの勝利は到達点ではなく、出発点である。さあ、ここからだ。
 

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モータリングライター&エディター

世良耕太

モータリングライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1世界選手権やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『トヨタ ル・マン...

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