一体、怒っていたのは誰? キム・カーダシアンの「Kimono」騒動は“文化の盗用”なのか、それとも…

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出典:「キム・カーダシアン公式インスタグラム@kimkardashian」より

 

お騒がせハリウッドセレブのキム・カーダシアンが、自身の補正下着ブランドを発表。様々な肌色に合わせた9色展開、サイズもXXSから4XLまで用意され、多様性の時代ならではの発想やコンセプトにはさすが現代のインフルエンサー代表格、との印象も。

 

だが、残念ながら日本の伝統的な民族衣装らしさなどは1ミリも加味されていない補正下着だというのにそのブランドを「Kimono」(キモノ)と名付け、登録商標まで申請中なんてことが明らかになったものだから、案の定、炎上。ツイッターではキムに「やめて」と異論を訴えるべく「#KimOhNo」とのハッシュタグも登場、Change.orgでは抗議の署名運動も起こった。後日、日米を巻き込んだ批判の声があまりに大きくなり、とうとう京都市長から直々に上品な抗議文が送りつけられて、ハリウッドで鍛えられたさすがの太い神経も「これはヤバい」と感じるものがあったのか、「Kimono」のブランド名は撤回された。

 

キム・カーダシアンとは、そもそもパリス・ヒルトンのスタイリスト時代にカメラの前で彼氏とイチャイチャ以上のことをしてしまった映像が流出して一躍有名人になった、「お騒がせセルフプロデュース」と「セレブであること」が仕事の人。現在は(同じくお騒がせしがちな)超有名ヒップホップミュージシャンのカニエ・ウェストの妻であり、その名も『カーダシアン家のお騒がせセレブライフ』という家族総出のリアリティ・ショーが、なんとシーズン16まで放映されているほどアメリカでは大人気だ。彼女が日本に対して持っている知識が「ジャパンって流行りのイケてる”ポップカルチャー”だからクール」以上のものであるとは、正直まあ誰も期待していない。この件が起きたときも「あのキム・カーダシアンじゃ仕方ない」「何を期待しているんだ? キムだよ?」との見方が大勢を占めていた。

 

 

■「文化の盗用」って何だ?

 

だが、「キムだから仕方ない」とはこの件を捨て置けなかった人たちの批判の中身とは「文化の盗用」だった。商品には着物らしい点など一つもないのに、それを日本の伝統的な民族衣装の総称である「着物」と名付けるとはあまりに無知で日本文化に失礼だ、とか、日本人でないキムが自分の文化ではないものをうわべだけすくい取って、そのイメージから生まれる利益を搾取しようとしているケシカラン、という意見である。また、「着物」という呼称はパブリックドメイン(世界で共有する財産)であって、商標登録して囲い込み私物化していいようなものではないぞエエカゲンにせーよ、との批判も強かった。

 

「文化の盗用」とは、人種のるつぼアメリカにおいて、特に白人がマイノリティである黒人やその他のエスニックな文化を表面的なファッションや記号として取り入れ身につけた時に、批判の言葉としてネットで頻繁に使われる言葉だ。これは裏返せば、日頃から自分の文化がマジョリティに盗用され搾取されているという感覚を持つ、マイノリティ的な意識でもある。

 

いっつもウチらのこと差別してるくせに、こういう時だけウチらの文化のカッコいいところを切り取って、うまく利用して儲けようとしやがってさ。ホントお前らズルいよ汚いよ、返せよ!と、訴え責める気持ちである。

 

白人が黒人音楽のラップを歌って売れることは「文化の盗用」だ、白人モデルがネイティブアメリカンの美しい羽飾りを身につけてファッション写真に収まることは「文化の盗用」だ、白人が日本文化の粋たる着物の名前を無造作に使うのは「文化の盗用」だ、フェアじゃないぞ返せ、とする考え方である。

 

 

■東洋が西洋化していることは「西洋文化の盗用」にならないワケ

 

だが、たとえば私たち日本人が着物などかなぐり捨てて、白人の洋装を取り入れたスカートやパンツ姿で実は明治維新以来もう150年も暮らしていることや、「NEW YORK」などと意味もなく外国の地名や大学名が書かれたTシャツを売ったり着たりしていることや、ピアノ奏でてオペラを、ギター奏でてロックを歌っていることや、エジソンが発明した電球やフォードが発明した車で明るく快適に暮らしていることなどは「白人文化の盗用」とは言われない。そういうのは「文化の伝播」とか「文明化」、場合によっては「感化(かぶれ)」とか、強い言葉だと「文化侵略」とか呼ばれるのである。盗んだんじゃない押し付けられたんだとか、俺たちが自分から学習して真似してやったのさ、ってなもんである。

 

後日あちこちで指摘されたことでもあるけれど、「Kimono」炎上に参加してこれは「文化の盗用」だ、だから日本に謝れと意見を述べている人たちの中に、実は日本在住の日本人は少なかった。声を荒げている人たちのほとんどは、多様性に敏感なリベラル派、日本文化に傾倒しているアメリカ人、日本人ではないマイノリティ人種の人たち、あるいは海外在住の日系人だったのだ。

 

なぜなら、人種と文化の坩堝で常にヒリヒリとした摩擦、差別を実感している人たちにとって、「自分よりも強者」の立場にある人間が自分たちの文化を真似することには、搾取感が生まれる。一方で、島国日本の中でヒリヒリした文化摩擦など感じずに暮らしている日本人にとって、アメリカのセレブが日本の文化の表層を真似するのは「またやってる(失笑)」でしかなかったということだ。

 

少し前に日本文化ファンを公言するアリアナ・グランデが自分のヒット曲「Seven Rings(7つの指輪)」のつもりで手のひらに「七」と「輪」というタトゥーを入れたときも、米国内では「文化の盗用」との批判が起きる一方で、日本人は「アリアナちゃん、それ違う。それは『七輪』、韓国風バーベキューグリルやで……」と心配こそすれ、「文化の盗用だ!」とは言わなかったのである。

 

これが、マジョリティとマイノリティ、力のある者とない者、持てる者と持たざる者の間の力学がもたらす「価値観のねじれ」である。弱者のものを強者が借りたら不公平極まりない「盗用」であり、強者のものを弱者が思いっきり全面的に導入して国を興したら、それはアジアの星たる先進国シンガポールである。日本のようにまったりのっぺりと均一(幻想)で、文化的な力学がもたらす傾斜がない環境、人種間・文化間の不公平に鈍感な環境においては、遠くハリウッドの「Kimono」騒動にはさして心がざらつくこともなかったのだ。

 

 

■文化を発信する「資格」は誰が決めるのか

 

「文化の盗用」という言葉から透けて見えるのは、「お前にはその文化を語る資格はない」というメッセージである。資格とは、「その文化の当事者=搾取され、虐げられた被差別者」であるということだ。その資格は、いったい誰が決めたんだろう。

 

私はライターとして、あるいは普段の生活で、親日家の外国人と多く知り合ってきた。彼らは私なんかよりはるかに日本の文化を知っているし、日本について深く考えている。家の中が全て日本の古美術で飾られていたり、キモノをホームウェアやガウン代わりにしていたり、日本の文学や芸術に造詣が深く、日本各地の温泉と美食を巡っていたり、要は日本オタクである。

 

よく、パリとかニューヨークとかロンドンとかに自分の骨を埋めかねない勢いでその土地を愛し、知り尽くして、ガイド本などをバンバン書いちゃう日本人がいるけれど、あれと同じだ。後天的に外国文化を獲得する多くのケースにおいて、好きという感情が強すぎて、勢いが良すぎる、前のめりなのである。でも、そんな彼らが仮に「かぶれ」であっても発信するカルチャー情報には、その文化の「中の人」であれ「外の人」であれ、気づきや発見に富んでいる。

 

以前、うどんチェーン大手の企業に聞いた海外進出とローカライズ戦略には、個人的に大きな学びがあった。「ぜひ、日本の本物のうどんを広めて、なんちゃって和食を世界から駆逐してください!」なんてマジな激励をもらうらしいが、会社は「なんちゃってうどん上等」の精神で、はたから見ても「なんちゃって」としか思えないうどんを自ら出しているのだ。「現地のニーズに素直に沿うことがローカライズの成功」という哲学で、彼らは現地で喜ばれる、現地で売れる新メニューを研究していくつも出している。それが激辛酸っぱい「トムヤムうどん」であっても甘辛い「スキヤキニンジャ」であっても、それで現地の人たちがうどんを楽しんでくれるなら、それでいい。だがうどんだけは、自家製麺で作りたて茹でたて。小麦にも水にも、ものすごくこだわる。

 

文化とは、普及してナンボ、深かろうが浅かろうが、愛してもらってナンボなのである。いやらしい話かもしれないが、マネタイズという点でも大いにそうだ。ジャパンへの認識が若干ズレていようがトンデモだろうが、ジャパンはクールでカワイイ、最先端でチョーイケてて、そんなジャパンに行ったことのあるアタシ、ジャパンを好きなアタシはかっこいいというイメージが(アリアナちゃんや、あのハリウッドセレブのキムの中にさえ)できたこと自体、つまり日本がポジティブなファッションとなったこと自体が、既に「よかったねー」。それらは「誤った日本観」や悪意や敵意なのでなく、「そうあったらいいな」という彼らの夢が投影された形にすぎない。

 

知識が不正確だったら、怒るのではなくシンプルに「違うよ」と教えてあげればいい。アリアナ・グランデはその後、手のひらの「七」と「輪」のタトゥーの下に「指」とハートマークを入れて修正した。いくらなんでも登録商標を申請するのはアウト、と思ったら、やんわり「それは嬉しくないデス」と立場の高い人がお手紙を出せばいい。キム・カーダシアンは「そんなつもりじゃなかったんです」と謝って「Kimono」ブランドを取り下げ、別の名称を検討中だ。観光立国を目指すなら、日本文化を愛してくれる彼らのなんちゃって「二次創作」は日本文化をブームに終わらせず広く浸透させるためにもウェルカム。そんな長期的で建設的な視点も失わずにいたいものである。

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コラムニスト

河崎 環

河崎環(かわさきたまき)/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川県育ち。桜蔭学園中高から転勤で大阪府立高へ転校。慶應義塾大学総合政策学部卒。欧州2カ国(スイス、英国ロンドン)での暮らしを経て帰国後、Web...

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