問題はどこに? 困るのは誰?「PTAは実は任意加入」でも、なくならない理由とは

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■菊池桃子さんの「PTAは任意加入」発言に「いいね!」が湧くわけ

 

PTAネタがマスコミに湧く季節である。PTAネタとは、3月〜5月の、年度末からGW明けにかけて必ずマスコミに出現する、まごうかたなき季節ネタなのである。子を持つ親ならみんな3〜5月のPTAネタを見て「ああ、今年もそんな時期かぁ」と1年が巡ったのを感じ、PTAネタが得意なライターさんは「新年度特需(=稼ぎ時)」で大忙しになる、そういうものなのだ。

 

菊池桃子さんがPTAのあり方について言及したのをきっかけに、ハフィントンポストの過去記事が再びFB上で盛り上がった。

 

 

「PTAは、実は任意加入」。知っている、聞いたことあるという人は少なくないだろう。なぜ、さほど目新しくもないこの話題が再燃するか。それは、先に書いたように新年度をきっかけとしてPTAという制度に多少なりとも不満や疑問を感じ始めた「新しいターゲット読者」の目に触れるからだ。

 

学校の体制にもよるが、例えば小学校のPTAネタなら3月から5月のタイムテーブルはこんな感じで推移する。

 

【SNS盛り上がりその1: 2月下旬〜3月】

年度末にあたり、次年度に新2年生〜新6年生となる子どもの保護者が、次年度に向けたPTA役員決めで紛糾。「自宅に今のPTA役員から電話がかかってきて、『来年度のPTA役員にあなたが推薦されました』って告げられたわ。冗談じゃないんだけど!」

 

【SNS盛り上がりその2: 4月初旬】

新学年が開始。入学式直後にPTAの話を聞かされた新1年生の保護者が戸惑う。「PTA役員の選出とか、子ども一人あたり必ず一つPTA参加の義務とか、聞いていないし! いろんな事情の人がいるのに、一方的な押し付けじゃないの!?」

 

【SNS盛り上がりその3: 4月中旬】

新年度初の保護者会が召集されて新しいクラス役員決めや行事の仕事の振り分けが行われる。そのタイミングで、特に「有職母 vs 専業主婦」の不満が噴き出す。「フルタイムなので時間が取れません。無理です」「仕事を盾に、ワーママはずっとPTA役員のおつとめから逃げられるってわけ? 仕事は理由にならないわよ!」

 

【SNS盛り上がりその4:GW明け】

新年度体制のPTA役員による初の大仕事「PTA総会」の開催時期で、そこでぶち上げられる”今年度の新しい取り組み案”などに過去のPTA経験者や現状維持派の保護者から物言いがつき、紛糾。「若い親はPTAの簡略化や縮小やら、ラクばかりしたがる。地域の事情や伝統を全然わかっていない」「そんなこと言ってるから、いつまでも“詰んだ”ままなんでしょう? 批判するなら代案を示してよ、代案を!」

 

なぜこんなことを言うかって? 私も子どもたちの学校のPTA仕事を、国内海外問わずあちこちの学校で長〜くやって、最後は日本で地元小学校のPTA副会長も務めたからだ。自分でもPTAネタを時々書きながら、その渦中にいた。それでわかったことが一つある。「どれだけPTA論争について知っているつもりでも、実際にやるのは別問題。なぜなら、問題の根は“PTAをやりたがらない保護者”じゃないから」。

 

 

■学校PTAの本当の問題は、どこにあるのか?

 

本当の問題は、PTAの仕組みそのものにある。というのも、SNSで毎年親たちが紛糾する学校PTAとは、(区・市・都道府県・日本)PTA連合会によって形成される「一大ピラミッド組織」の最底辺に位置付けられた、「単位PTA(以下単P)」というものに過ぎない。これを単純に「PTAは任意加入なんで、ウチの学校では参加者が激減しました。もう要らないでしょ? そこで、PTAを解体することにしまーす!」と一介の保護者グループが言い出しても、まぁ通用しない。学校内部の行事雑事その他の問題に加え、対外的な存在意義というものもがっちり帯びている、それが学校PTAだ。

 

単Pの存在は、対外的にピラミッドを構成する石の一つとして初めからカウントされていて、簡単に解体などできるような状況にない。例えばあるときは“◯◯市PTA連合会主催 ◯◯先生講演会”などのチラシが学校へ送られてきて、単Pごとに規定数の保護者の参加が割り当てられるなどして親の“動員”を要請され、参加者は聞いた内容を文章にまとめて、自分の学校の保護者へ「下ろす」任務を負う。

 

あるときは、学区別の学校グループ、自治会、役所、保護司、警察などで構成される“子どもの安全と青少年の健やかな成長のための連絡協議会”のようなものに年に数回参加し、それぞれの学校の子どもたちや保護者や教員がいかに健やかに暮らし、地域の老人会や自治会や青年団が子どもたちのために不審者見回りをし、区役所が汗をかき、警察がパトロールをし、みんなで一丸となって地域の治安維持と青少年の非行防止に貢献しているかを報告し合うときもある。

 

あるときは、子どもたちの通学路をPTAで手分けして歩いて回り、◯◯の交差点では大きく育った樹木が邪魔で子どもの視線では車の往来を確認しにくいとか、道路の停止線が消えかかっているために車がちゃんと一旦停止しないとか、◯◯の坂ではスピードを出す車が多いので現在よりも前の位置から「スクールゾーン」表示したほうがよくないかとか、そういった意見をまとめて警察署へ提出したりする。

 

あるときは、地区挙げての防災訓練で、学校は有事に防災拠点として機能できるよう、備品や連絡動線の確認、実際の炊き出し訓練などもしなければならない。

 

こうして、「公」の一大ネットワークの中で「学校という点」の窓口となって動くのが、学校PTAなのだ。つまり、PTAは在校生の親が参加したいと思おうが思わなかろうが、参加できようができなかろうが、そもそもの存在が当然視されている。「PTAは存在する」のが前提で、“地域”の活動ががっちり組まれている。もしPTAがなくなったら、“地域”が困るのである。

 

子どもを公立学校に通わせるとは、そういうことだ。自分たちが納税する地域の学校に、義務教育で子どもを通わせるとは、地域活動をつなぐ一つの輪っかになることであり、活動に参加もするということなのだ。ところが、そんなことを理解して子どもを地域の学校へ通わせている親なんかのほうが、圧倒的に少ない。筆者だって実際にPTAにがっぷり取り組むまでは、そんな複雑なこと、一ミリも知らなかった。ただ給食費といくばくかの教材費を払って、とりあえず毎日学校へやればいいのだろう、時々行事だけ見に行ってやればいいのだろう、私立よりコストも低いし近くて通うのが楽だよね、友達もたくさん近くに住んでていいよね、そう思っていた。“みんな”と同じだ。

 

(以下、次回以降に続く!)

ブラックすぎ!? 罰ゲーム!? PTA役員を体験して分かった課題の根深さ

「PTAは任意」と本当にPTAを解体したのに、再結成したケースがある!

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コラムニスト

河崎 環

河崎環(かわさきたまき)/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川県育ち。桜蔭学園中高から転勤で大阪府立高へ転校。慶應義塾大学総合政策学部卒。欧州2カ国(スイス、英国ロンドン)での暮らしを経て帰国後、Web...

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