80年代にジャイアンツに入団して活躍した投手と言えば…やっぱりあの「3本柱」でしょ!?

コラム

citrus 文月

 

80年代に読売ジャイアンツに入団した投手と言えば、斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄の三本柱の名を挙げるファンが多いのではないだろうか。今回は80年代から90年代の巨人の勝利に貢献したこの3投手の、勝利数と活躍を紹介したい。

 

 

■斎藤雅樹/180勝

 

サイドスローを駆使し、180もの勝利数を重ねた斎藤雅樹。1983年に市立川口高から巨人へドラフト外れ1位で投手として入団した斎藤は、持ち前の野球センスから野手への転向も検討されていたが、藤田元司監督の指導によりサイドスローの投手としてプレイすることになった。

 

85年には12勝をあげたものの、その後は伸び悩んでいた斎藤。しかし、89年に復帰した藤田監督のアドバイスを受け才能が開花。89年、90年と2年連続で20勝をマーク、11試合連続完投勝利という大記録を打ち立てる。その圧倒的な活躍と完投数の多さから “平成の大エース” 、 “ミスター完投” と呼ばれるようになった。

 

 

■槙原寛己/159勝

 

150㎞/hを超える速球と高速スライダーを武器として、現役時代に159勝をあげた槙原寛己。1981年に大府高からドラフト1位で入団し、1年目こそ二軍で体づくりに専念していたものの、オープン戦では好投を見せており、若手のホープだった。

 

プロ2年目で1軍戦初登板した試合で完封勝利した槙原は、その年に12勝をマークし新人王に輝く。その後も、87年から89年まで2桁勝利、88年にリーグ最多となる187奪三振を記録するなどチームの勝利に貢献し、投手としての名声を高めていく。そして、94年の広島東洋カープ戦では、史上15人目、平成唯一となる完全試合を達成した。

 

 

■桑田真澄/173勝

 

投手としての高い総合力、とりわけ正確なコントロール力を持ち173勝した桑田真澄。PL学園で盟友・清原和博とともに “KKコンビ” として活躍した桑田は、高校1年のときから5期連続で甲子園に連続出場、うち2回を優勝するという快挙を成し遂げ、1985年にドラフト1位で入団する。

 

“甲子園の優勝投手はプロで活躍できない” というジンクスがプロ野球界にはあるが、桑田はプロ2年目から15勝を挙げ、沢村賞を獲得。94年にはMVPを獲得するなど獅子奮迅の活躍を見せる。95年には右ヒジじん帯を損傷し前線を離れたが、手術とリハビリを耐え、97年に復帰。結果として、現役生活でゴールデンクラブ賞を8回も獲得した名投手となった。

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