ギャルの本質は「ファッション」ではなく「マインド」? 芸能界にはびこる "エセギャル" を憂うゆきぽよのギャル論に感銘を受けた件

 

『スポニチAnnex』によると、ギャルタレントの「ゆきぽよ」こと木村有希(26)が10月25日に更新されたYouTubeチャンネル『日経テレ東大学』にゲスト出演。「ギャルのフリをして活動するタレントはいっぱいいます」といった旨の言及をなされたという。番組中に交わされた、共演者の「ひろゆき」こと実業家の西村博之氏とのやりとりのおおよそは、以下のとおりであった……らしい。

 

ひろゆき氏「(※知人男性の違法薬物使用の疑いによる “風評被害” から、活動休止を余儀なくされた件を引き合いに出し)ゆきぽよさんの場合は、警察が調べて “シロ” 確定なんだから、それで仕事を止められたのはどうなのかなって」

 

ゆきぽよ「代わり(のギャルタレント)がいっぱいいたんですよね。タレントって、少しでも悪いイメージが付くと、下の代のクリーンなギャルのほうが使いやすいと思うんですよ。でも、このままいくと業界のギャルが “エセギャル” になっていくとは思いますね」

 

ひろゆき氏「要は芸能人になりたい女の子が、ギャルっぽい格好をするけど、悪いことはしない、そっちのほうが使いやすいと。たとえば、どんな人がそういう風に思いますか?」

 

ゆきぽよ「いっぱいいますけど、(実名は)言いませんよ!」

 

「見た目だけのギャルの子って、バカなフリしてずっと真面目なんですね。いつも後先のことばかり考えていて、ギャルのマインドである “今を楽しむ” ってことを忘れてると思いますね」

 

別にギョーカイのギャルが「エセ」ばかりになってしまおうが……私にとってそのあたりはどーだっていいのだけれどw、タレントさんにかぎらず、一人の若い女性を「ギャル」と特定するのは我々 “素人” にとって、意外に困難な作業である。

 

たとえば、ゆきぽよのように自らを「ギャル」だと公言してくれているなら……その “自己申告” を鵜呑みにするか、そうじゃなければ、せいぜい『Popteen』なり『egg』なり……の、いわゆる「ギャル雑誌」の読モ出身だとかの “出自” から判断するしか方法はなかったりする。ゆえに、今回ひろゆき氏がゆきぽよから引き出してくれた「ギャル論」は、私みたいなネットニュースをパトロールしながらコラムのネタを日々発掘しているタイプの文筆業者にとっては、なかなかにありがたい。とりあえずは、これら一連の “ゆきぽよ語録” を「正しい」と見なしたうえで、そこからゴメスなりに整理した「ギャルの定義」を箇条書きにしてみよう。

 

・ギャルはある程度「悪いこと」をしてなんぼ

(※「下の代のクリーンなギャルのほうが使いやすい。でも、このままいくと業界のギャルが “エセギャル” になっていくと思う」発言より)

 

・ホンモノのバカで不真面目じゃなければいけない

(※「見た目だけギャルは、バカなフリしてずっと真面目」発言より)

 

・「今を楽しむこと」がギャルマインド

(※「“エセギャル” はいつも後先のことばかり考えていて、そのマインドを忘れてしまっている」発言より)

 

まあ……上から二つは、ひろゆき氏の巧みな誘導尋問によって、つい口を滑らせてしまった極論感も否めないが、最後の一つである「今を楽しむ」という享楽主義──エピキュリズムから生じる刹那性と一種のニヒリズムこそが、「ギャルの本質」だと私は思う。

 

そして、「後先を考えずに目の前にある快楽に飛びついてしまいがち」な性質は、ゴメスにも通ずる部分が大きく、ゆきぽよ理論に倣うならば、とどのつまりは私も、れっきとした「ギャル」の一人なのかもしれない。そう! 「ギャル」とは、もはや “外見” ではなく “思想” なのだから……。

 

とは言え、目の前にとびっきりの快楽があっても、それが犯罪につながってしまうのなら……さすがに「後先」は考えちゃいますけどね……(笑)?