「日常をちょっと特別に彩るオトナ女子応援メディア」をコンセプトとする情報サイト『ハウコレ』が、『意外に多い? 男性の声が好きな声フェチ女性に対する【男の本音】』なるタイトルの記事を配信していた。冒頭には、
男性の顔よりも性格よりも、声を重視するという声フェチな女性って意外と多いですよね。あるいは、今まで全く好みではないと思っていた男性でも、ふとした時にカラオケなどで歌声を聞き、意識し始めることもあるでしょう。
……とのリード文が。ところが、そんな「声フェチ」の女性のことを、男性はあまり理解できないんだとか……。その “モヤモヤ感” の正体とは……同記事によると、おおよそは以下の二つである……らしい。
・声だけで騒がれても、なんかからかわれているような微妙な気持ちになってしまう
・声だけじゃなく、もっと中身(性格?)も見てほしい
とどのつまり、男性(の多く)は
「男性の魅力の一つとしての “声” をあまり重要視していない」
……ということだ。
でも、ちょっと待った! はたして「イイ声」ってヤツは、本当にそこまで瑣末(さまつ)な要素でしかないのか? せいぜい「内面」と「外見」の次くらいに付け加えられるオマケ的な長所にすぎないのか?
私は「全然違う!」と反論したい。むしろ、下手すりゃ「性格」なんぞを凌駕しかねない、強力なアドバンテージにもなりうるのでは……とすら考える。
女性……いや、人間の “好み” とは、「五感」のどれかに特化的かつ動物的なかたちで刺激してくるモノであり、その「五つの感覚」のうち、どの「感覚」を上位に持ってくるか……の “順番” はヒトそれぞれ──あるヒトは「容姿」(=視覚)にこだわり、あるヒトは「体臭」(=嗅覚)にこだわり……また、あるヒトは「声」(=聴覚)にこだわる。もちろん「肌の相性」……いわゆる「抱き心地」のような感覚(=触覚、もしくは味覚?)にこだわるヒトもいるだろう。
いっぽうの「中身=性格」は、とても脆(もろ)くてはかない、じつに曖昧な概念だ。たとえば、
「社交家=八方美人」
「優柔不断=慎重」
「毒舌=頭に浮かんだことをきちんと口にする素直な人」
「頑固=自分の信念を曲げない人」
「浮気癖のある人=好奇心旺盛な人」
……と、捉え方次第で「長所」にも「短所」にも転じていく。表現を変えれば、
「いったん相手のことを好きになったら、どうにでも好都合な解釈ができる」
……のである。私は初見で「なかなか厄介な性格だな……」と直感した女性でも、その彼女がなにか「五感」に訴えかけてくる絶対的な魅力の持ち主ならば、まずはそこに癒されながら「厄介な性格」の「厄介」の部分をポジティブな視点でもって、「捕捉的な魅力」として上塗りしていくよう努力する。逆に、「五感」では生理的に受け入れられない嫌悪を見いだしてしまった女性とは、恋愛関係を持続することができない。そして、そういう “見極めの基準” で交際や結婚を決める者は、誰もが口にできないだけで、あながち “少数派” でもない……と思っている。
ちなみに、私が大好きな女性の声は宮沢りえさん。彼女の声さえあれば、いくらデートの約束に遅刻されても……万一すっぽかされても、何度だって余裕で我慢できるに違いない。