「結婚を諦めること」と「独身を貫くこと」との微妙な言葉のニュアンスの違い

 

「男女の出会いメディア」をコンセプトとするWEBサイト『e-venz(イベンツ)』を運営する『ノマドマーケティング株式会社』が2023年1月、全国の25歳~49歳の独身男女1000人を対象として「結婚を諦めたこと」についてのインターネット調査を実施。その結果、

 

「結婚を諦めて楽になった」

 

……と回答した人が6割を超えた……らしい。そんことを『まいどなニュース』が報じていた。とりあえず、その数字の詳細は以下のとおりであった。

 

・「結婚を諦めた」と回答した人

 

【男性】
20代:36%
30代:55%
40代:71%

 

【女性】
20代:54%
30代:52%
40代:70%

 

・「結婚を諦めた」理由

 

【男性】
1位:経済的に余裕がない
2位:年齢的に諦めた
3位:元々結婚願望がない

 

【女性】
1位:元々結婚願望がない
2位:出会いがなかった
3位:年齢的に諦めた

 

さて。私がまだ30代40代のころ、私と同世代の未婚者(※バツイチも含む)のなかには、

 

「オレは(アタシは)一生独身主義を貫く!」

 

……なんて威勢の良いセリフを吹聴していたヒトもけっこう多かった印象があるのだけれど、なるほど……昨今はこうしたポジティブシンキング(=強がり?)よりは、素直に(?)「諦める」といったネガティブな響きがある言葉のほうが好んで使用されるのかしら……と、まずは思った。

 

あらためてじっくり比較してみると、「独身を貫くこと」と「結婚を諦めること」は、「結婚をしない」という “結論” こそ同じであれ、微妙にニュアンスが異なっている。前者が「結婚にみずから背を向けている」のに対し、後者は「できないからしないけど、できるならばしたいなぁ」といった “未練” ──一筋の光明にごくわずかながら縋(すが)りついているイメージがある。そして、現在は「結婚」なる制度そのものに疑問を呈する “反体制派” が、むしろ減ってきている……ような気もしなくはない。いずれにせよ、結婚できない(もしくは、したくない)なら、一度「諦めてみる」のも案外悪くないのでは……と私は考える。

 

ここ数回は野球の例え話ばかりで恐縮なんだが(笑)、このたびの「侍JAPAN」メンバーの最年長であるダルビッシュ有投手が、1次ラウンドで成績不振だった選手たちに、こんな素晴らしいアドバイスを贈っている。


「それ(=好不調があること)が野球なので、気にしても仕方ない。人生の方が大事ですから。野球くらいで落ち込む必要はない」

 

「自分も含めてですけど、休みもあるので、凄く楽しいことをしたり、おいしいご飯を食べたりしてリラックスして欲しい」

 

「野球」にせよ「結婚」にせよ、自分が大切にしているアイデンティティのようなものを、「諦める」「くらいで~」といった、わりと強めなワードで “いったん” 否定すことによって肩の荷を下ろす──それから「凄く楽しいこと」や「おいしいご飯」でリラックスした人生を過ごしていたら……1次ラウンドで成績不振選手たちの再生はもちろんのこと、「一度は諦めてしまった結婚」の運も、いつしか引き寄せることだってできるのかもしれない。