ジェネレーションギャップってヤツは、さまざまなシチュエーションで唐突かつさり気なく生じるもので、その多くは“感じられた側”にとって「当たり前な行為」ゆえ、“感じた側”による「おせっかい」と紙一重な勇気ある指摘がないかぎり、その違和感は未解決状態のまま放置され、時には世代を異とする人間関係において、少なからずのストレスの要因ともなり得たりする。
つい先日、こんなことがあった。とある20代の女子と、とある場所に遠出したときの話である。
私も彼女も、その場所は初めて訪れた地で、軽く道に迷ってしまった。そこで私はたまたま歩いていた地元民らしきおじさんを「すみません」と呼び止め、「どこどこに行くにはどう行けばいいですか?」と訊ねてみた。旅の途中などではよく見かける、ありふれた光景だ。
ところが、20代女子の目には、私のそんな「当たり前な行為」が、けっこう「不思議」……どころか「ヘン」とまで映るという。
「Googleマップがあるのに、なんでわざわざ他人の手をわずらわしてまで道を聞くのか、意味がわかんない」
……ってえのが彼女の言い分で、しかも、そのおじさんの説明がイマイチあやふやだったので、結局は別のおばさんにも訊ねるハメに……こういった合理性の欠如からくる二度手間、そして中高年世代特有の依存心が、若い世代からすれば見苦しい・わずらわしい・イライラする……のだそう。
私は、彼女によるこの「勇気ある(=無遠慮な)指摘」に対し、
「人と人との直接的な触れ合いも旅の醍醐味の一つ」
……という言葉でしか反論することができなかった。我ながら説得力の薄いロジックだと、アッサリ敗北を認めた。
また、こんなこともあった。とある20代の女子が私の家に泊まった時の話。
夜中の1時くらいにトイレの水が止まらなくなった。為す術もなくおろおろするばかりの私は、「たしか郵便ポストの壁面に、クラシアンのマグネット広告がくっついてたよな…」と、あわててマンションエントランスへと向かおうとした。すると、その彼女がおもむろにスマホをいじり出し、「トイレの水 止まらない」で検索した対処法をもとに、いきなりタンクの蓋を開け、ガバッと手を入れてプラスティック製の風船みたいな器具をちょこちょこと触って、あっという間に「水のトラブル」を解決してくれたのであった。
「クラシアンを呼ぶのは、まずスマホで調べてから…でも遅くない」
まさにスマホを皮膚の一部のごとく使いこなす世代ならではの“頼りがい”──たいがいの小さな疑問はスマホで解決できる昨今、スマホを持っていないのならまだしも、持っているなら、年齢に関係なくその利便性を最大限に有効活用することで時間やお金の無駄使いをなくし、そこで余った時間やお金を“別の有意義な何か”に回してこそ、スマホの開発に携わった想像できないほどの数の人々も、「冥利」を感じてくださるのではなかろうか?