エビスさんの元気がないらしい。エビスさんとはもちろんのこと、七福神のえべっさんでも、「ナンパの聖地」とされる横丁を有し結果として街の品位を損ねてしまった地名の恵比寿でもなく、あのタレントの蛭子能収さん(72)のことである──そんなことがデイリー新潮が配信する『不安的中!「蛭子能収」は体力の限界で「旅バラ」終了 テレ東が読み間違えた2つの誤算』なるタイトルのコラムに書いてあった。
なんで「元気がない」のか? その理由とは、大雑把にはこういうことである……のだそう。ちなみに「テレ東が読み間違えた2つの誤算」に関しては、今日の私の原稿にはあまり関係がないため、説明は割愛する。もしご興味ある好奇心旺盛なcitrus読者さまはリンクをクリックして、熟読してくださいm(_ _)m
11月13日、『太川蛭子の旅バラ』(テレビ東京系列)が放送され、番組の最後に12月25日で終了することを発表。その経緯を(デイリー新潮の取材に応じた)某テレビ制作関係者は以下のように語る。
「(蛭子さんの体力が予想以上に落ちていたからか)回を重ねるごとに、蛭子さんのリアクションがどんどん薄くなっていくんです。スタッフのフォローも限界に達し、最終的には太川さんが手を焼くほどの“無気力”な状態に陥ってしまいました。(中略)蛭子さんの辛そうな様子に、他の出演者も『楽しくなさそう』な雰囲気が画面からはっきりと伝わってきました」
「蛭子さんにとって最高の仕事とは、スタジオで座ってコメントすると、周りからイジられて笑いを取る、というタイプの番組です。ロケはただでさえ大変なのに、2泊3日とかになると、かなりの重労働に感じておられたのでしょう。蛭子さんはどんな番組でも愛着を持つ人ではありませんし、目一杯、頑張る方でもありません。『長時間労働なのに、ギャラはこれだけか』と次第にモチベーションが下がり、いい仕事ができなくなったのではないでしょうか」
これらのエピソードから、同コラムの筆者も「蛭子は仕事が好きなのではなく、“お金”が好きなのだ」と分析する。……とは言っても、いったん仕事を引き受けてギャラをもらってるんだから、せめてカメラが回っているときくらい楽しそうなフリしなきゃ、プロとして失格なのでは……なんてお決まりの文句は、こと蛭子さんにかぎっては通用しない。
なぜなら、蛭子さんは長く芸能界にどっぷりと浸かりながらも、「素人であり続けること」を頑なに守ってきた唯一無二の存在であるからだ。つまり、その日のコンディションやその場のテンションによって大きく左右されるといった、従来タレントとしてはあるまじき“波の激しさ”を、多くの視聴者は蛭子さんに求めているのではなかろうか。蛭子さんに生半可なプロ意識を問うた時点で蛭子さんは蛭子能収じゃなくなってしまう……だから、私は『旅バラ』で辛そうな蛭子さんを観るのが、それはそれでけっこう好きだった。蛭子さんはこれでいい、いや、これじゃなきゃダメなのである。
ところで、私は個人的に申せば「プロとして失格」といった正論過ぎる正論が、とても苦手だったりする。ネット住民の皆さまは、著名人の誰だかが大なり小なりの粗相を犯すたびに、鬼の首を取ったかのごとく頻繁にこの錦の御旗、黄門様の印籠をご使用なされるけど、じゃあアンタはこれまで一度も失敗したことはないのか? 社会人である以上、アンタもなにかしらのプロだろう? 万一「オレは(アタシは)これまで仕事でミスをしたことなんて絶対にない」と断言できるなら、どうぞご自由に。
しかし、一般論で考えれば、プロにだってミスはある。「ついやらかしてしまう」からこそ、どのメディアも政治家や芸能人やアスリートたちのスキャンダルを日々追いかけ、それが“メシのタネ”として成立しているのではないか? プロとしてできるのは「必ず犯すはずのミスを極力0%に近づけること」だけ。勘違いしないでほしい。「ミスを犯した(公人的立場の)プロを叩くな」と私は言っているのではない。叩くならあらゆる違った視点から、ちっとはもっと、気の利いた言葉を絞り出してみてはいかがでしょう……と、私は意見したいだけなのです。ダメですか?