「仕事の第一線で活躍する男たちが人生を謳歌するためのライフスタイルマガジン」をコンセプトとする意識高い系ビジネスマン向けの情報誌『GOETHE(ゲーテ)』のネット版が、タモリと滝川クリステルの対談を配信しており、文中にとても興味深いくだりがあったので、今日はそれについて論じてみたい。まずは、その「興味深い」箇所の一部を抜粋しよう。
滝川 :私、タモリさんの「ジャズだね」って言い回しを時々真似しているんです。意味がありそうでないようなところが好きで。
タモリ:「ベイシー」というジャズ喫茶のオーナーにある日「なあタモリ、ジャズって音楽があるんじゃなくて、ジャズな人がいるだけだな」と言われまして。対して「ジャズだねぇ」って返したのが最初だったかな。意味は何もないです(笑)。
(中略)
滝川 :ジャズな人というのもわかるようなわからないような。
タモリ:(ベイシーのオーナーである)菅原さん曰く、向上心のない人、らしいですよ。
滝川 :タモリさんも以前「向上心は未来を目標にしているから、今を生きていることにならない」と苦言を呈していましたね。
タモリ:僕はもともと向上心ないですから。
(後略)
ジャズな人=向上心のない人──大学時代の後半は1日8時間以上を京都にあるジャズ喫茶で過ごしてきた、ジャズドラマーのはしくれでもある私からすれば、脳天に五寸釘を一撃で打ち突かれたかのごとくに説得力あふれる金言中の金言だ。「バード」の愛称で知られる、あのジャズアルトサックスの巨人・チャーリーパーカーは、酒とヤクまみれの自堕落な生活に溺れ、手持ちの金がなくなったらサックス一本持って、手当たり次第ジャズクラブで「バララバラバラ〜♪」と数曲演奏し、とっぱらいでギャラを受け取って、また自堕落な生活へと戻る……の繰り返しだったいう。
「才能の無駄遣い」……いや、「才能の切り売り」と表現したほうが正確なのか? いずれにしろ「向上心がない」ってえのは、こういうことをも言うのだろう。まさしく「今を生きる」──アドリブのパートをメインとする、原則としては「即興音楽」であるジャズを演奏するミュージシャンさながらの生き様である。
ある時期からのジャズは「永遠にアマチュアミュージックの域から脱することができなくなった」みたいなことを、たしか村上龍さんだかがおっしゃっていた記憶があるが、「今だけしかない」バッと演奏してサッと消え去ってしまう音、すなわち「他人に聴いてもらう」という前提から生じる、アンサンブルに対する「向上心」とは無縁な音を「アマチュア」と見なすのは、なかなかに鋭い指摘だと思う。
だが、まだ多感な20代そこそこのころにジャズのDNAを刻み込まれてしまった私としては、そういう「ジャズな人」に抱く、ある種の憧憬的な念を捨てきることができない(もちろん違法薬物まみれの日常を、現在のコンプライアンスに反して推進しているわけではないし、私自身もそこに関する憧れは一切無い)。
たとえば、日銭を稼ぐためギャラ数千円の原稿を、パソコンを開くまでなんのプランもなく、ネットニュースをスクロールしては出来が良かろうが悪かろうが毎日1時間半きっちりの時点で、書き上がったモノを入稿するコラムニスト……なんて風に? それって、ほとんど現在の私ではないか(笑)! 願わくば、私が死ぬまでcitrus編集部殿には「ジャズな一人の文筆業者」を養っていただくためにも生き残ってもらいたい。一応、ギャラは「とっぱらい」じゃなく「銀行振込」……?