1974年から1982年の約9年間にわたって活動し、それなりの人気を誇っていたバンド『ずうとるび』が解散から38年ぶりに再結成。2月9日、神奈川県の東名厚木健康センターで、新旧メンバー5人揃って復活ライブを行った。昼夜で計300人以上のファンを集めた同ライブでリーダーの山田たかお(63)は、75年以来2度目となる紅白歌合戦出場を狙うと宣言した……らしい。
『ずうとるび』とは、超長寿番組『笑点』(日本テレビ系)の1コーナーであった『ちびっ子大喜利』で山田隆夫が座布団10枚を獲得したことをきっかけとし、結成されたグループであるそうで、この「山田隆夫」とは今でも『笑点』で「座布団運び」を務めている、山田たかお(『笑点』出演時のみ表記は「隆夫」のまま)のことである。
『ずうとるび』の名前の由来は、もちろん「ビートルズ」をひっくり返したものであり、より正確さを期すなら「ずるとーび」になるのだけれど、まあ語呂の面で「ずうとるび」のほうが勝ったのだろう。いずれにせよ、音楽史に劇的な革命を起こした偉大なるロックバンド『ビートルズ』を逆さにして平仮名にひらいただけで、音感的な響きはおろか字面のビジュアルにまで、こうも間抜けさを注入してしまうとは、いやはや日本語とは恐ろしい……。
いくら間抜けな響きと字面のバンド名とは言え、腐ってもネーミングの基となっているのは、あのビートルズである。なのに、彼らの音楽スタイルからはビートルズに対するリスペクトが(私には)ほぼ感じることができなかったのがまた凄まじく、1970年代半ばごろ、ホンの一瞬「ビートルズの再来」と騒がれプチブレイクした『ベイシティーローラーズ』にすら、かすってもいなかった。
現に結成当初、山田以外はまったく楽器が弾けなかったという。辛うじてリスペクトの証として私がうっすら覚えているのは、ベース&ボーカル担当の今村良樹がポール・マッカートニー張りに左利きでベースを撫でていたことくらい? ただ、コレも“弾けない”からこそできる所業であったがゆえ、「バンド形式」ではなく「4人横並び」で歌っているだけのケースも多かった。したがって、某スポーツ紙は彼らのことを「バンド」ではなく「バラエティアイドルグループ」という微妙な紹介のしかたをしている(※「アイドルグループ」と呼びきるには、ハンサム度数も総じて低めだった)。いわば『ゴールデンボンバー』のはしりのようなグループで、近年で例えるなら金爆のメンバーが、みずからのユニット名を『ゴールデンボンバー』ではなく、『ミスチル』を逆さにして『るちすみ』とでも名付けたようなものではなかろうか? ちょっと違うかもしれないけど、オマケに語呂もイマイチだけど……(笑)。
さて。『ずうとるび』が活動していた1974年から1982年を、今年58歳を迎える私の年齢に照らし合わせれば、中一からハタチにかけて……ってことになるのだが、実際の全盛期は(私が記憶するかぎり)、山田隆夫(たかお)が脱退する1977年までの約3年間だったので、まさにちょうど中学1〜3年の思春期ど真ん中に当たるわけだ。我々世代の「思春期ど真ん中」とくれば、普通に生きていればビートルズをはじめとする洋楽にも興味を持ち始めたころで、「『ずうとるび』なるビートルズ様を愚弄する、ふざけた名前を公称するとは何事か!」……みたいな風には、不思議なことに私はちっともならなかった。おそらく、私の周囲にもそういう文句を垂れるマセガキ(=早熟な中学生)はいなかった気がする。
そもそも本コラムに「中学時代を彼らと共に過ごしてきたいくつかの想い出」なんてタイトルを付けているクセに、私には『ずうとるび』に対する想い出が一つも想いつかないし、『ずうとるび』の曲だって一曲たりとも思い出せないのである。
結論を申そう。結局のところ『ずうとるび』とは完ペキな名前勝ちのグループであり、そのネーミングのインパクトとは裏腹な、あまりに淡泊な楽曲と、コミックバンドとしてさえ成立していない希薄なコンセプトとの併せ技が、逆に“通”を怒らせない、すなわち「万人に嫌われない」希有な存在にまで、彼らをのし上げたのではなかろうか。がんばれずうとるび!(←むっちゃ間抜けな字面w)じつはそこまで応援もしてないけど……でも、その頑張りに横やりを入れる気も、さしてない。