木村花さんの一件から考える、男女の常軌を逸した言動を公へと引き出し晒す「恋愛リアリティ番組」の罪深さ

 

現在放送中の恋愛リアリティ番組『テラスハウス2019-2020』(フジテレビ系・ネットフリックス配信)に出演中だった女子プロレスラーの木村花さん(22)が、5月23日未明に亡くなったことがわかった。まずは心よりご冥福をお祈りします。

 

昨年9月の第20回放送(配信)から木村さんは「テラスハウス」に入居。ネット上で木村さんに対する “アンチ” が増え始めたのは今年1月に放送(配信)された第31回から。番組内で交際を断られた相手の陰口を叩いたことがきっかけとなり、それが一気にヒートアップしたのが3月31日放送(配信)の第38回。大切な試合用のコスチュームを間違って洗濯し、縮ませてしまった男性出演者に木村さんは激怒。その男性がかぶっていた帽子を跳ね飛ばしたりした「コスチューム事件」と呼ばれるエピソードであった。

 

木村さんのツイッターに口汚い言葉を書き込んでいたアカウントは23日以降、続々と自主削除されているという。インターネットの匿名性にかまけて、安全区域から “敵” が著名人であろうが無名人であろうが気さくに「誹謗中傷」という名の遠距離ミサイルを乱発射し、しかもそのダメージが洒落にならない事態へと発展したらとっとと撤退を決め込む行為が最低、人間のクズの所業であるのは申すまでもない。が、「恋愛リアリティ」なるコンセプトの番組づくりが、そういうクズなヒトたちにとっては “格好の餌食” となりがちなのもまた事実であり、私はこの手の番組から共感性羞恥的にひしひしと伝わってくる “イタさ” が、昔から苦手でならなかった。できれば自分から遠い距離に追いやっておきたいし、実際チャンネルを合わせることも、ほぼなかった。

 

言わずもがな「恋愛」とは、時に一人の人間をまったくの別人へと変えてしまうこともあるくらいに、やっかいな感情だったりする。端から見れば、仕事ができて上司受けも部下の面倒見も良い清廉潔白かつ道徳的な人格者であっても、いったん恋愛にハマったら最後──平気で自分を美化、あるいは正当化する嘘をつくこともあれば、相手の都合を無視した独善的で狂気めいたLINEを連続送信してしまうこともあるし、結果として不倫関係になってしまうこともあるだろう。どんなに普段は分別をわきまえた常識人であっても、セクハラ・モラハラ・パワハラやストーカーへと走ってしまう “危うさ” は潜在しているのである。

 

そんな「恋愛による別人格化」にスポットを当て、一つのバラエティとして仕立て上げるのが、いわゆる「恋愛リアリティ番組」であり、その「別人格化」は平時の場合とのギャップが激しくなればなるほど、制作サイドにとっては “美味しい” ってことになる。つまり、テレビというまな板上で料理された「身も心も恋愛モードに突入した男女の常軌を逸した言動」を “ハイライト” として鑑賞して楽しむコンテンツなわけだ。よくよく考えてみれば、なんとも残酷な話ではないか。

 

かつての『パンチDEデート』『プロポーズ大作戦』、それに『ねるとん紅鯨団』なんかは、同じ恋愛を扱った番組ではあっても、あくまで “出会い” のみに特化されたつくりだった。なので、そこで繰り広げられる「別人格化」、恋の駆け引きは視聴者にとって “滑稽” にしか映らず、まだ安心感をもって面白く眺めていることができた。しかし、恋愛に脳の90%以上を支配された男女たちならではのディープな “奇行” の一挙手一投足を観察する、まるで「檻の中に閉じ込められたモルモット実験」のようなたぐいのリアリティを、公衆の面前に “エンターテインメント” として垂れ流すのは、少なくとも私はもうそろそろカンベンしてほしい……。