「志村けん」or「志村けんさん」? 敬称略の基準について、あらためて自問自答してみた!

 

敬愛なるcitrus読者の皆さま、あけましておめでとうございます。旧年中は私のつたない、むしろ「文字数制限のないツイッターのつぶやき」に近いコラムに散々お付き合いいただき、どうもありがとうございました!

 
「今年こそはもうちょっとヒトのお役に立てるような文章をお届けせねば」などといった使命感のような想いが、毎年正月三ヶ日あたりまでは頭をよぎったりもするのですが、「リズム感のみで読ませる、読後感だけに優れた内容のない原稿」を理想とする私なので、たぶん無理でしょう。てなわけで、今年も例年どおり、よろしくお願い申し上げますm(__)m

 
さて。話はコロッと変わるのだけれど、芸能人をはじめとする著名人の「さん」付け、いわゆる「敬称を略すか否か」には、じつのところやんわりとしたルールがあった──そんなことについて論じている記事を「関西発のやわらかニュースサイト」であるそうな『まいどなニュース』が配信していた。

 
私ら文筆業者、それも私みたく芸能人をネタにアレコレと書きちぎっては小金を稼ぐたぐいの者としては、けっこう重要な問題だったりする。まずは、同記事にあった「基準」(の一部)を以下に紹介しておこう。

 
・お亡くなりになった著名人には敬意を表すという意味で“なんとなく”「さん」や「氏」をつける。

 
・しかし、共同通信社による『記者ハンドブック 新聞用事用語集』によれば、「歴史上の人物」には敬称をつけない。

 
・ただし、歴史上の人物として定着したかどうかは没後30年をめどとする。

 
なるほど。それなりにわかりやすく、かつ我々物書きにとってはありがたいルールではある。志村けんは「志村けんさん」、加藤茶は「加藤茶」、織田信長は「信長さん」ではなく「信長」……。とはいえ、これは本記事の筆者も指摘していたのだが、2021年の30年前、つまり1991年以前にお亡くなりになった、たとえば夏目雅子“さん”や美空ひばり“さん”を呼び捨てにしてしまうのは、いささかまだはばかれる。せめて、「30年」という数字は「50年」くらいに引き延ばしてもかまわないのでは……って気もしなくはない。

 
さらに、共同通信社では、

 
「死亡・事件・事故・善行・訴訟は呼び捨てとしない」

 
……ともしており、このルールに当てはめれば『爆笑問題』の太田光も、先日の訴訟関連を絡めた報道をする際には「太田光さん」、もしくは「太田光氏」ってことになる。

 
私にかぎって言えば、とりあえず「お亡くなりになった著名人」は、それが30年以上前であろうと、すべて「さん」付けにする。夏目雅子はやっぱり「夏目雅子さん」で、「没後何年」を境界線にしているのかは曖昧でこそあれ、織田信長はやっぱり「信長」で、パブロ・ピカソは「ピカソ」である。

 
また、「敬称略」で表記するのは、原則として「芸能人」「プロスポーツ選手」「政治家」のみに限定している。したがって、作家である村上春樹は「村上春樹さん」。前提は“アマチュア”とされる五輪選手、たとえば桃田賢斗は「桃田賢斗さん」だが、現役を引退してキャスターとかに転身したヒトは「芸能人」と見なし、たとえば潮田玲子は「潮田玲子」になる。とってもとってもややこしい……。

 
あと、芸能人でも何度か実際に会ったことがあって、仕事も共にしたことがあるヒトから敬称を“トル”のもなかなかに勇気がいる。かつて『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)で何度かご一緒させてもらったことがあるタモリ“さん”や、『解決! ナイナイアンサー』で何度もご一緒させていただいた岡村隆史“さん”や矢部っち“さん”を呼び捨てで文字に起こすのは、本音を申せば心苦しかったりする。いっそ、全員を「さん」付けするような、やわらかい文体にしてしまおっか……なんてことも考えたりもするのだけれど、いかがだろう……と、つい他力本願で最終判断を皆さまへと丸投げしてしまう年始一番の私であった(笑)。