ファイナルコンサートが高視聴率! 時代を超える山口百恵の魅力をあらためて考察する

 

 

1980年に芸能界を引退した山口百恵(現62歳:あえて敬称略)の最後のコンサートを収めた『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』が1月30日(午後3:35〜5:58)にNHK総合テレビで放送されて、世帯平均視聴率は8.6%、テレビをつけていた世帯の21.9%が視聴(関東地区、ビデオリサーチ調べ)という高い数字をマークし、「#山口百恵」がツイッターの世界トレンド1位になるほどに、大きな反響を呼んでいる。

 
1972年にオーディション番組『スター誕生』で準優勝し、翌年73年には出演した映画『としごろ』と同名曲で歌手デビュー。桜田淳子・森昌子と並び「花の中3トリオ」と呼ばれ、本格的に芸能生活をスタートした。最初こそ「暗くて華がない」的な評価を受け、桜田淳子の天真爛漫なスマイルと森昌子の年不相応な演歌路線に後塵を拝するかたちではあったものの、1974年には『ひと夏の経験』が大ブレイク。これをきっかけに「暗い」が「影のある→謎めいた」へと変換され、一気にスター街道をばく進。『横須賀ストーリー』『夢先案内人』『イミテーションゴールド』『プレイバックPart2』『いい日旅立ち』……ほか、メガヒット曲を次々と生み出しながら、映画や「赤いシリーズ」として知られる大映ドラマにも多く出演。まだ人気絶頂だった1980年、俳優の三浦友和(現69歳)との結婚を理由に電撃引退。冒頭にある日本武道館のファイナルコンサートでは、ラストソング『さよならの向こう側』を歌ったあと、マイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと去っていった。14歳から21歳までのたった7年間をまさに疾風の如く駆け抜け、引退後は徹底してマスコミに顔を出さず、そのあまりの“引き際の見事さ”が「百恵伝説」をよりいっそう神格化する要因となったことに間違いはない。

 

今回の放送では、山口百恵の歌唱力をあらためて絶賛する声がネット上でも多く寄せられている。たしかに、生バンド演奏の生歌で、あそこまで音程や声量が安定しているのは並大抵じゃない。が、単純に「もっと歌がうまい」女性アーティストはMISIAにJUJUに……と、平成になってから大量に輩出されてもいる。そして、『日刊SPA!』で音楽批評家の石黒隆之というヒトが、山口百恵の歌唱力に関して、以下のような鋭い分析をなされていた。

 

「山口百恵にはそういう(=歌がうまいという)褒め言葉を、簡単に使わせてもらえない雰囲気があります。最近、“プロの声楽家が選ぶ本当に歌のうまい歌手”みたいな記事をよく見かけますよね? もちろん、プロである以上下手より上手いほうがいいに決まっているのですが、山口百恵の“うまい”は、それとちょっと違う。もっとスケールの大きい話なのではないでしょうか。

言うなれば、山口百恵の歌は“よい”。このシンプル極まりない実感を与えられるからスターなのですね。

(中略)そして、ある種の品格を支えているのが、抑制された静かな表現なのでしょう。足し算や掛け算でどんどんデコって注目を集めるのではなく、引き算と割り算で削ぎ落としていく。大切なことを話すときは小さい声のほうが伝わるといった真理に通じる話かもしれません。

(中略)アスリートのように力技で歌い上げる歌手ならば見逃してしまうであろう、行間ににじむ反語的な色彩をすくい取っていく。これも“うまい”のではなく“よい”と言うほかない点でしょう」

 
「これ以上はない」くらいに素晴らしい、完璧な山口百恵論である。山口百恵はどんなときでも常に山口百恵であった。しゃべっているときも、歌っているときも、映画やドラマで演技をしているときも、声のトーンは全部同じ。山口百恵の声は一種類しか想い出すことができない。歌手としては不器用なのかもしれない、役者としては大根なのかもしれない……けれど、そんな骨太さにしか宿らない恒久性、さらには「足し算と掛け算」の賜物であるJ-POPにはない、「引き算と割り算」の美学に裏付けられた歌謡曲の耽美性が、世代を超えた日本人すべてのハートを、いまだ捉えてやまないのではなかろうか?