「ビジネス&メディアウォッチ」をキャッチコピーとするニュースサイト『J CASTニュース』が、お笑いコンビ「アンジャッシュ」の渡部健(48)が「最近、東京の豊洲市場で働き始めた」との情報を例に挙げ、こうしたニュースにあえてSNSや記事下にあるカキコミ欄で、「どうでもいい」とつぶやくユーザーの心理について言及していた。
たしかに、渡部がどこでなにをしようと、それがほとんどの人たちの人生に1ミクロンの影響をも及ぼすはずはなく、心底から「自分とはまったく無関係」だと考えるのなら、そもそもそのニュースを最後まできちんと読み込み、リアクションすること自体、大いなる時間の無駄ではないのか? にもかかわらず、渡部の一件にかぎった話ではない、この手の……とくに芸能ニュース系においては、必ずネット上に「どうでもいい」という、斜にかまえたコメントを“わざわざ”残す御仁が一定数実在する。
『J CASTニュース』の取材に応じた経営コンサルタント兼心理学博士の鈴木丈織さんは、そんな複雑なユーザーの心情を、以下のように分析する。
「まずは、『倫理に違反した者の末路を見てみたい』という関心が潜在化にあるケース。渡部さんは昨年『多目的トイレで不倫』という、それこそ個人的性癖が垣間見える違反行為を行なったわけですが、このような『世間的には100%アウト』な違反を行なった者に対して、世間の人々はその後の顛末を見たがります。
その結末は…バッドエンドでもハッピーエンドでも問題なく、渡部さんが今後、なんらかの許しを得ていくとしたら、その過程も視聴者にとってはエンターテインメントなのです」
「また、みずからの人生には関係ないとはいっても、妻である佐々木希さんの男性ファンは、どうしても関心を抱いてしまいます。それを覆い隠すための『どうでもいい』なのです」
なるほど。いずれにせよ、つい「どうでもいい」と世界に向けて発信しちゃう人たちは、やはりそのことが「気になっている」わけで、本心では「どうでもいい」とは思っちゃいないということだ。思春期のころ、クラスメートから「オマエ、○○子に気があるんだろ!?」と指摘され、ムキになって「あんなヤツ、どーでもいいよ!」と反論するような感じ? 中高生時代ならまだ微笑ましいエピソードだったりもするけれど、いい年齢の成人が吐く“捨てゼリフ”としてはやや大人げなく、ちょっぴり格好悪い。気になっているんだったら、素直にそう宣言すればいいのに。「私は渡部さんの一挙手一投足が気になって気になってしょうがありません!」と……。
とは言え、私もじつのところ、自身のコラムでこの「どうでもいい」なるワードを、たまに使用してしまってはいる。たとえば、今回の渡部案件に関して論じるのならば、
「私は、渡部が豊洲市場でアルバイトをしようとボランティアに励もうと、そこはどうでもいい。ただ、これを機に世論の風当たりが渡部からマスコミへと変わりつつある事実には、いささかの興味を抱いている」
……と書く。「どうでもいい」と断じる恥ずかしさを「どうでもよくない」部分で巧みに隠蔽する、まあ長年の執筆活動で培った、姑息なテクニックの一つなのであった(笑)。