祝! 放送50周年!! かつて「1号」の本郷猛役を演じた藤岡弘、が語る、『仮面ライダー』への想い

 

(故)石ノ森章太郎さんが原作・作画した漫画を実写化──1971年から放送され、いまだ大人気を博している『仮面ライダー』シリーズが今年でなんと! 50周年を迎えるという。そして、初代・仮面ライダー1号の本郷猛役を演じていたのが、そう! 我らが藤岡弘、であり、その藤岡弘、がネット版の『Real Sound』でその想い出と思い入れについて、熱く語っていた。

 
何度も申すが、私は自他ともが認める「藤岡弘、研究家」である(※「他」は数人しかいないがw)。私は、なぜ日本のマスメディアがもっと藤岡弘、(74)に注目しないのか、もっと大々的にフィーチャーしないのかを常々不満に感じている。不満に感じているから、せめて私だけでも藤岡弘、の近況やインタビューがスポーツ新聞やらネット上やらにひっそりと掲載されたときは、かならず欠かさず、後追い紹介することを己の義務、使命としている。したがって、わりとつい最近に藤岡弘、について語るコラムを寄稿したばかりではあるけれど(※今年の1月26日)、このたびも1ミクロンの迷いもなく藤岡弘、に再び(※正確には「ごたび」くらい?)スポットを投じてみた次第である。

 
『仮面ライダー』がはじめて放送された1971年、私は9歳……たしか小学3年生であった。すでに子どもたちのあいだでは大ブレイクを果たしていた変身ヒーローモノ『ウルトラマン』シリーズが変身して“巨大化”するのに対し、仮面ライダーは(身長が)“等身大”──当時はかなり斬新というか、幼心にちょっとした違和感さえ感じたものだ。しかも、モデルとなっているのはバッタ(昆虫の)であり(※ショッカーがバッタと人間を組み合わせてつくった改造人間という設定。その後、ショッカーを裏切り正義のために戦うことに…)、ヒーローとしてはあまりに彩りの乏しい黒とアースカラー系の緑を基調としたシブいデザインで、差し色の赤は目とマフラーのみ。変身する際も、とくに決めポーズはなく、ベルトの風車が回ったらいつの間にか仮面ライダーへと姿を変える……というマニアックなものだった。なお余談だが、私はこの仮面ライダーの「蜂女」登場の回(※第8話)を観ているとき、夕飯だったタコ焼きのタコに当たって、全身に蕁麻疹が……以降、30歳になるまでタコ・イカ・エビ・カニ・貝が食べられないアレルギー体質になってしまった(※今でもエビ・カニは食べられない)。

 
話を戻そう。そんな“質素なヒーロー”に(私をはじめとする)子どもたちがようやく慣れ始めたころ、突如1号が2号へとチェンジする。撮影中、藤岡弘、がオートバイ事故に合ってしまい(※私はそのことを今まで知らなかった。「藤岡弘、研究家」としてあるまじきことだと自らに猛省を促したい!)、“代役”として2号=一文字隼人へとシフトしていくのだ。インタビュー中、藤岡弘、は一文字隼人を演じた俳優の佐々木剛について、こう述べている。

 

 
「佐々木君が凄いなと思うのは、あの変身ポーズね。何のてらいもなく堂々とやってのける。あの変身の時に見せる切り返しの良さ。彼が変身ポーズの先駆者となって、私に見本を示してくれた。その時のことは今でも忘れません」

 
なるほど! 腕と脚の白線が2本になり、ベルトが白から赤になった「新1号」として復帰した際の、あのキレキレな「ライダ〜変身っ! トウ〜!」には、こんな誕生秘話があったのか!? じつにいいエピソードではないか。

 
また、「仮面ライダーを演じること」の重圧を藤岡弘、は以下のように断じる。

 

 
「ヒーローを演じるというのは、とてつもなく大きな責任が伴うんです。ファンの人たちを裏切らない、失望させない、そんな生き方が大変だけど大事になってくる。それがファンの皆さんへのお返しであり、ヒーローを演じた者の責任でしょうね。心臓が止まるまでが私の戦いです」

 
まさに武士道を地でいくストイックな生き様だと感動を禁じ得ない素晴らしい金言だと思う……とは言え、私はあまり武士道には詳しくないのだが?