「スケボーはストリート文化から発展→路上走行もアリ」というロジックを我々日本人は受け入れるべきなのか?

 

ネット版の毎日新聞によれば、2020年10月から神奈川県警が、禁止場所でのスケートボードの取り締まりを強化している……らしい。戸部署に、騒音や「接触しそうになった」という苦情が相次いだのが理由だという。そして、そんな経緯を鑑みて、毎日新聞は

 

 
スケボーは今夏の東京オリンピックで正式種目となり、競技人口も増える一方で、近隣住民から寄せられる騒音などの苦情も増加。ストリート文化として発展してきたスケボーは路上のパフォーマンスが原点で、取り締まりにはボーダーたちの反発や困惑もある。スケボーは「受け入れる文化」なのか、それとも単なる「騒音や危険の発生源」なのだろうか。

 
……と問題提起をなされている。

 
まず、ゴメスの私見を述べるなら、もっとガンガン取り締まっていただきたい。路上でのスケボーは全面禁止、できれば公園などの公共施設内での“パフォーマンス”もダメ──キャッチボールやトスバッティングは野球場で、テニスはテニスコートで……そういう風に「然るべき専用の施設で然るべきスポーツを楽しむ」という“当たり前の理屈”を“例外なく”よりいっそう徹底してほしい。なぜなら、私は過去に一度、路上スケボー男に衝突されて、病院に行かねばならないレベルの怪我を背中に負った経験があるからだ(※ちなみに、その路上スケボー男は信じられないことに「ボーッと歩いてんじゃねえよ!」と捨て台詞を残し、すい〜っと去っていった)。さらには、昔住んでいた自宅の隣に公園があって、そこには毎夜、スケボー少年たちが集い、ゴ〜ガラガラガタンゴ〜ガラガラガタンと深夜まで耳障りな規則正しい雑音がリフレインされ、軽い不眠症になったこともある。つまり、私はスケボーに対して、わりと激しい個人的恨みを抱いているのである。

 
次に、本記事にあった「ボーダー側の言い分」にも目を通してみよう。

 

 
「(スケボー専用の施設は中級者以上が独占する傾向があるため)あまり(自分は)うまくないので恥ずかしい。引け目を感じる必要はないとわかっているが、ストリートで練習してからという思いがある」(横浜市中区の像の鼻パーク近くでスケボーをしていた20歳の男子大学生)

 
なるほど。国内の有名なサーフスポットにいきなり混じった新参の初心者が、主(ぬし)的存在の上級者に邪魔者扱いされる……みたいな感じか? その居心地の悪さはそれなりに理解できる。しかし、「あまりうまくないので恥ずかしい」レベルの“パフォーマー”が路上や公園を“練習場”として勝手に利用するのも、それはそれで問題なのではないか? 危なっかしくてたまらない。

 
国内最大級規模のスケボー専用施設である「スケボー広場」でスケボースクールを運営する『Chees(チース)』の北島宗和代表は、

 

 
「スケボーはもともと街の中で滑り、自分を表現するカルチャー。日本ではそれがまだ受け入れられていない」

 
……と前置きしつつ、

 

 
「禁止される場所が増えれば、ボーダーはどこで滑ればいいかわからなくなる。ただ締め付けても反骨精神をあおるだけで効果はないと思う」

 
……と指摘する。ただ、カリフォルニアあたりのだだっ広い街ならまだしも、この狭い日本でこうしたストリートカルチャーを理解する必要があるのか……という疑問もなくはない。結論を申すと、とりあえず「理解を促したい」のならば、「カルチャー」という言葉を後ろ盾にするより、むしろスケボーという“競技”を他の競技と同様、専門施設に完全隔離し、「スポーツ」として認知される方向へと専念するほうが早道だと思うのだが……いかがだろう?