「他人から理想のカップルと呼ばれたい」という相手を恋人に選んだ時点で「理想のカップル」には絶対なれない説について

 

「気になる人へのアプローチ、付き合っている彼との仲を深める方法、失恋してしまった時の立ち直り方など、恋に関する情報を集めた」という恋愛系のネットメディア『Mery(メリー)』が、「理想のカップル、そう呼ばれたい(ハートマーク)誰もが羨む彼氏彼女になる方法と長続きのコツ」なるタイトルの記事を配信していた。冒頭のリード文には、

 

 
周りが羨む“理想のカップル”。そんなカップルでありたいと思っている人は多いかも?

 
……とある。とりあえずは「全部が当てはまっていたら理想のカップルに近づいているといえるかも」であるらしい「6つの項目」ってヤツを紹介しておこう。

 

 
(1)おはようからおやすみまで、【挨拶】を欠かさない

 
(2)どんなに時間が経っても【愛情を言葉】にして、好きと伝えている

 
(3)会話がないときも【居心地】がよく、安心感がある

 
(4)親しき仲にも礼儀あり! 相手を常に【尊敬】し合っている

 
(5)いい意味でベタベタしすぎない。お互いが【自立】している

 
(6)身長差は10㎝以上くらいの【高低差】がハッキリしている

 
どれも「そうだったらそれにこしたことはない」崇高な“目標”ばかりだ。しかし、私は同記事のタイトルにあった「理想のカップル、そう呼ばれたい」「誰もが羨む彼氏彼女になる方法」とのくだりが、なんか奥歯にモノが挟まったような感じでしかたない。

 
そう! 「他人から理想のカップルと呼ばれたい」と、男女どちらかが願った時点で、その二人は「理想のカップル」からは遠のいてしまうのではなかろうか?

 
つまり、こう本気で願っている人は「第三者の理想」に振り回されているわけで、たとえば、その兆候は(6)の「理想の身長差は10㎝以上くらい」に、もっとも顕著なかたちで表れており、とどのつまりが、

 
「パートナーを、理想のカップルを目指す自分を演出するためにマニュアライズされたアイテムの一つ」

 
……としてしか見做していない──極論すれば「ヴィトンの財布」だとか「エルメスのバーキン」と同じ扱いでしかないのである。

 
私が考える「理想のカップル」とは唯一つ、

 
「第三者が介入する余地のない強固な絆で結ばれたカップル」

 
……であり、「他人の意見」に左右される程度の“想い”でそこの境地に到るのは、まず不可能! 

 
「百のカップルには百の付き合い方がある」

 
したがって、仮に「毎日パチンコ三昧な身長160㎝のヒモ男」でも「それが愛おしくて財布から軍資金を渡す身長170㎝の女」が相手なら、それはそれで「理想のカップル」だと私は思う。

 
そもそも、周囲から単一眼的に「理想のカップル」と認定されながら生きる毎日って……けっこう疲れちゃいますよ、きっと?