マツコ&有吉のトークからあらためて考える、「役に立つ・役に立たない」を基準にすべての物事を片付けてしまう今の世知辛い合理性について

 

4月8日に放送された『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)で、タレントのマツコ・デラックス(49)とお笑いタレントの有吉弘行(47)が、とある視聴者からのメッセージに私見を述べていた。「とある視聴者からのメッセージ」とは、以下のようなものであった。

 

「私は小中学校の同級生のあだ名をほぼ完全に覚えています。あとは、昭和版のウルトラマンの全怪獣も言えるのですが、奥さんから『その知識なんの役に立つの?』と言われます」

 
これを聞いた有吉は、

 

「『その知識なんの役に立つの?』って言ってる奥さんとはもう離婚したほうがいいんじゃない?」

 
……と、憤慨。その有吉発言を受けたマツコも、

 

「これについては私も(有吉と)同意見です。役に立たないから面白いんじゃない。それを否定したらダンナの人生を否定してるのと一緒だからね」

 
……と、コメントした。

 
これについては、(離婚まではしなくてもいいとは思うけど)私も有吉とマツコとまったくの同意見である。なんでもかんでもネットで検索したら、たちまち多種多様な知識を簡単に得ることができるここ近年(※さすがに「自分の小中学校の同級生の全あだ名」は出てこないだろうがw)、情報を「役に立つ/役に立たない」の二択でバッサリと選別し、「役に立たない」とジャッジされた情報はどんどんと切り捨てられる、合理性のみを重視した風潮がますますとエスカレートしてきている。

 
たとえば、私は日本史の西暦を自分が勝手に考えた語呂合わせでけっこう詳細に覚えており、それこそ大学受験時には1年ごとレベルで「1192(イイクニ)つくろう鎌倉幕府」みたいな風に諳んじることができた。もちろん、今だとネットで検索すれば、モノの数秒でわかることだし、おそらくもう受験をする機会もないであろう私にとっては、ほぼ「役に立たない知識」だったりする。

 
あと、ジャズの楽曲を聴けば、ブラインドホールドの状態でも誰が叩いているか──たいがいのドラマーを当てることだってできる。これも、今では『SoundHound』とかのアプリを使って楽曲のタイトルを判別し、そこからネット検索したら、正解へと辿り着くことができる。せいぜい、デート中にバーで流れている小音量のビル・エヴァンスを聴いて、「ああ、このドラマーはジャック・ディジョネットですね」と、したり顔でつぶやくくらいの役にしか立たない(※よほどのジャズ好きな女子じゃなければ、むしろ嫌われる可能性のほうが高いw)。

 
しかし、こういう「無駄な知識」こそが、多少大袈裟な表現をすれば「かつて、そこそこ必死に受験勉強やジャズドラムに取り組んでいた自分の歴史」なのであって、それを否定することはマツコのおっしゃるとおり「自分の人生を否定すること」になってしまう。

 
ちなみに、私は文筆業に就いて以来ずっと

 
「リズムだけで一気に読破できる、まったく役に立たない原稿」

 
……を “理想” としているのだが、そんなコラムの需要が年々確実に減りつつある実状にも一抹の寂しさを感じてしまうのは、はたして私だけなのであろうか……?