【田中みな実×指原莉乃】2人の対談から「恋愛の仕方を忘れた」感覚について考える

 

『スポニチAnnex』によると、フリーアナウンサーの田中みな実(35)とタレントの指原莉乃(29)が4月18日深夜に放送されたラジオ番組『TOKYO SPEAKEASY』(TOKYO FM)に出演し、おたがい “真逆” な恋愛観を披露した……らしい。トーク内容のおおよそは、以下のような流れであった……のだそう。

 

田中「もはやパートナーに求めることってある? 正直、別に一人で生きていける。そう考えると必要ないっていう方向だよね。とくに今は…。(中略)(指原さんは)自立しすぎちゃって男の人に求めるものがないってことは(ありませんか)?」

 
指原「(男の人に求めるものは)ありますよ、私は。経済的には一切ないです。ただ、洗濯と掃除は絶対にやってほしい」

 
田中「自分のパンツ洗って(もらって)もいいってこと?(中略)自分のなかでやり方があるから、そうじゃないやり方でいろいろとやってくれようとしたときに、どんくさい人だったりすると、『違うの!』って。『お皿(もっと)丁寧に扱って!』とか、『なんでそこでこぼすのかな?』とか、『じゃあ、私がやります!』ってなる。完璧にやってくれたらいいよ。(そんなアタシだから)恋愛の仕方が本当にわからない…」

 
指原「私は全然なんでもやってほしい。やり方もどうでもいい。(洗濯物を)どんな畳まれ方されても、なんとも思わない。(中略)恋愛観真逆ですね(笑)」

 

要約すれば、田中みな実は「自分には、もはや男性に求める(頼りたい)ことがほとんどないから恋愛の仕方がわからない」、いっぽうの指原莉乃は「まだ男性に求める(頼りたい)ことがいくつかあるから、恋愛もできる(可能性がある)」……みたいな感じか?

 

どっちが正しいのか……また、どっちのタイプの女性のほうが好みなのか……を、この場で論じる気はないが、「真逆」とは言っても

 

「ヒトとして完全に自立してしまったら、恋愛するのが億劫になる」

 

……ってところだけは二人とも「共通」しており、そしてこのロジックは田中と指原にかぎった話ではなく、男女問わず多くの「恋愛に縁遠い人々」にもよくありがちな認識なのではなかろうか。

 

では、ヒトは恋愛するとき、はたして「相手になにを求める」のか?

 

もちろん、「性欲」もその一つに含まれるのだろうけど、性的な欲求に関しては生理学的な見地からも男女で “在りよう” が微妙に異なってくるから、コイツを語り尽くすには最低でも1万字以上のワード数を要するため、ここでは割愛する。

 

……となれば、もっともわかりやすい「頼りたい〜」は、やはりまず「お金」──だがしかし、田中や指原をはじめとし、昨今では男性以上に経済的に自立している女性もぐんと増えているゆえ、少なくとも「女性が男性に頼る」という旧来型の力関係はいずれ無きものとなっていくだろう。「腕力」もまた然り。AIを駆使したロボットなどの日常化が急速に進んでいくさなか、男性が「腕力」を発揮できる機会は今後みるみる希少化するに違いない。

 

ちなみに、私は還暦間際になっても、いまだ恋に恋する、タチの悪い「永遠の思春期男子」なんだが(笑)、付き合う女性に求めるのは──とりあえず「お金」はささやかながらも自分一人が食っていけるくらいには稼いでいるし、「料理」や「家事」も最低限はこなすことができるので、そこらへんは一切求めない。私が求めるのは、(原則として)長い時間をパートナーとすごすことによって得られる、同世代だと「経験してきた環境の共有による既知へのディープな安堵」であり、年齢差が激しい世代だと「ジェネレーションギャップによる未知へのディープな感動」である。

 

あと、なによりも、身近に居てはじめて五感すべてで味わい尽くすことができる「女性特有の柔らかさ」──女性の場合だと「男性特有のゴツゴツさ」こそ、私にとっては「恋愛」が与えてくれる最高の醍醐味……なのかもしれない。