"いい人" でなければ成立しない? 令和のお笑い界で立場を確立しつつある「クズ芸人」というジャンルを分析してみた

 

お笑い芸人界内で、昨今「クズ芸人」というジャンルが確立されつつあるという。お笑いトリオ『安田大サーカス』のクロちゃんに、ピン芸人の狩野英孝やヒロコヒー、『霜降り明星』の粗品や『相席スタート』の山添寛や『空気階段』の鈴木もぐら……とかがその “成長株” である……らしい。

 

彼ら彼女らの「クズ」な要素を形成するのは、おもに「ギャンブル」「借金」「異性関係」「嘘つき」……あたりだが、年々と大メディアのコンプライアンス的な縛りが強くなり、不自由さが増す現状下において、なぜあえてそういう風潮に相反する「クズ」なる概念がもてはやされるようになったのだろう?

 

たとえば、『空気階段』の鈴木もぐらは、7月23日に『人生最高レストラン』(TBS系)に出演した際、こんな自身のクズ・エピソードを語っている。

 

(※ギャンブルが好きな理由を問われて)「スポーツは普通にチケット買ったらそれで終わりじゃないですか。でも、競馬とかって観られるプラス勝ってお金が返ってくるっていう可能性があるんで。むしろ増えると言いますか…」

 

(※「全財産失う可能性もあるわけでしょ?」との質問に対して)「それはまぁ入場料というか…はい」

 

だが、いっぽうで……初めてできた彼女(現在の妻)に「借金があること」「ネズミしかかからない病気にかかってしまったこと」……などを洗いざらい明かしてから交際をスタートし、結婚にまで到ったという、いわゆる “微笑ましい” エピソードも……。

 

「クズ芸人」のルーツは、私が(リアルに)知るかぎりだと横山やすし師匠(※ギャンブル好き・タクシー運転手に暴力…etc.)まで遡り……ある意味、ビートたけし(※フライデー編集部襲撃事件で傷害罪…etc.)なんかも広義では「クズ芸人」にカテゴライズされるのかもしれないが、昭和のころはまだ圧倒的な才能が「クズ」の部分を “側面” へと追いやり、それが “笑い話” として成立していた、長閑(のどか)な時代であった。しかし、令和ともなればそうともいかず、なるほど鈴木もぐらみたいに「クズ」なラインナップの後(あと)には必ず “オチ” となる “いい話” がセットとならなければいけない様子である。

 

「クズ芸人」として令和の時代に受け入れられる「クズ」の種類とは、(誤解を恐れずに)ザックリ断言してしまうと

 

「他人に(致命的な?)迷惑をかけない(両親は除く)」

 

……これに尽きるのではなかろうか。

 

脱税はアウト、多目的トイレを占有するのもアウト、強引な投資の勧誘もアウト……。あくまで「クズ」を自分(と肉親)の守備範囲内で完結させてこそ、はじめて「◯◯にだらしない」という性格が “売り” となるキャラとなり、「愛されるクズ芸人」として芸能界で生き残っていくことができる。

 

芸人考察に定評のある『平成ノブシコブシ』の徳井健太は、こう語る。

 

メディアでクズを謳える人は、全員いい人なのだ。いや、いい人ではないか。「バラエティに特化できることができる人」とでも言えばいいのだろうか。極端なことを言えば、メディアで「いい人」な部分しか見せない人は、逆に怪しんだ方がいいかもしれない。

 

(2022年7月23日に公開された『デイリー新潮』の「ノブコブ徳井が明かす『相席スタート』の素顔」より引用)

 

う〜〜〜ん! それが真実なら……「怪しんだ方がいい芸能人」って、けっこういっぱいいますよね(笑)?