コミュ障の人に対する「聞き上手になれ」という無責任なアドバイスに関して、過去の経験からどのように気を付ければ良いのか考えてみた

 

とある、ちょっとしたお悩み解決系のネットサイトに、

 

内気で、なかなか人と打ち解けることができない自分の性格にコンプレックスを抱えています。(中略)どうすれば、器用に人付き合いができるようになるのでしょうか?

 

……みたいな相談を、20代の女性が寄せていた。そして、そんな相談者の悩みに対して、本コーナーのカウンセラー役を務める中年(らしき)男性が、こんなようなリアクションをなされていた。

 

そもそも主語が無くても会話が成立する日本語を使う我々は、主語が必須な英語などを母語とする人々と比べ、「主張する力」が弱い傾向にあると私は考えます。

 

逆説的には、主語が必要な言語を母語とする人には「主張する力」が強い人が多いと言えるのかもしれません。

 

なるほど〜。的確な分析ではないか! たしかにそー言われてみたら、そーなのかもしれないな……と納得した。ただ、その後の「じゃあ、どーすりゃいいの?」って部分が、いささか薄すぎてガッカリした。

 

「聞き役」に徹すること!

 

もう、あらゆるカウンセリング界隈で散々出尽くしてきた模範中の模範解答である。120%間違っちゃいない。まさに「大正解」だと言えよう。一応、

 

相手が喜ぶ相づちや、絶妙に気の利いた、相手を思いやる一言が言える技能を磨き上げてみてください。

 

……ってな風のことは書いてあった。ただ、こうアドバイスされて「はいわかりました」と、明日からちょちょいと矯正できるなら誰も苦労はしない。わざわざ他人に悩みを相談なんてしやしない。そもそも「相手が喜ぶ相づち」や「絶妙に気の利いた相手を思いやる一言を考える」というのは、コミュニケーション術のなかでは最上級の高等テクニックであり、コミュ障に悩む人にそれを説くのは、キャッチボールもロクにできない野球初心者にフォークボールの投げ方を教えるようなものなのではなかろうか。

 

私も、本来的にはあまり「他人とのコミュニケーション」が得意なほうではない人間だったりする。が、ライターという職業に就き、何百何千人ものインタビュー仕事をこなしてきて、 “後天的” にコミュニケ―ション能力を「並の上」くらいまでには引き上げてきた。

 

たとえば、相手がよくしゃべるタイプだと

 

「相づちは『はい』や『うん』…ほか音感を変えて…ときには『はいはい』『ほうほう』などとリフレインも加え、さらに、ときには無言で深くうなずくのみにとどめたり…とバラエティ感を演出し、最後は『なるほど〜っ!』で〆る」

 

……だとか、相手が寡黙なタイプだと、

 

「質問は一問一答の面接型ではなく、一つの質問に対する答えをより深く掘り下げていく」

 

……だとか、約30年間の職歴から得たノウハウも、それなりにはある。しかし、コミュニケーションにかぎらず、なにかのスキルを本気でブラッシュアップしたければ……結局のところは地道な反復練習を積み重ねるしかないのだ。

 

まず、「相手の目をきちんと見て会話すること」(※それがつらいなら、相手の鼻に視線を集中させる)だけを徹底的に意識し、あと「タイトな相づち」を入れるための訓練として、私はドラムをオススメしたい。そう! 相づちとはドラミングに例えると「フィルイン」のようなものであり、要はリズム感を鍛えることこそが「相づち上手」への一番の早道なのである。