コンプライアンス問題で「忖度」を強いられるテレビマンの悩み

コラム

 

つい先日、私の元弟子が、20年以上前……いや、30年近く前にゴメス組で企画・編集・執筆を請けおった、とある青年向け漫画雑誌内の8ページにわたる袋綴じ特集の切り抜きを「コレ、覚えてます?」「めっちゃヤバいですよ」と、見せてくれた。

 

まさしく、下手すりゃ今だと発禁(=発行禁止処分)を食らってもおかしくない、仮に私がかつての東京五輪でなんらかの仕事を受けていた場合、その職を辞退しなければならないのでは……クラスの文言が目白押しの、「相当にヤバい」内容であった。しかも、版元は出版界で1~2位を争う “超大手” で、「こんなのを◯◯社がしれっと出版できる時代があったんだね……」と、二人でちょっとした感慨に耽ってしまった。

 

そして、数週間後──『文春オンライン』が「どつき漫才はいじめを助長……自虐ネタもアウト? バラエティ番組の “度を越した忖度” 」なるタイトルの記事を配信しており、なかなかに興味深く拝読させていただいた。

 

同記事の筆者である、元テレビ朝日・プロデューサーの鎮目(しずめ)博道氏は、近年のテレビ界の現状を、こう分析する。

 

いまテレビマンたちは、とにかく「とまどいながら」仕事をしています。それは、すべてのジャンルで同じです。どんな番組を制作するにしろ、「あらゆることの基準がはっきりしないので、どこまでがオッケーでどこからがアウトなのか」がまったくわからなくなっているのです。

 

(中略)いちばんはっきりしない基準が「痛みを伴う笑い」をどうするかについてです。2022年の4月にBPO(放送倫理・番組向上機構)の青少年委員会が「『痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー』は、青少年が模倣していじめに発展する危険性が考えられる」という見解を出したことがきっかけとなって、(中略)バラエティ番組の制作現場は「どうすればいいのか」と困惑し、混乱しているのです。

 

「痛みを伴う」という意味がなんともよくわかりません。厳密に考えれば「どつき漫才」のように相方を叩くのをウリにしている芸人さんもアウトです。「罰ゲーム」も、たとえ「からだにいいマッサージ」でも「高周波治療器」でも、だいたい痛みを伴いますからアウトですよね。現場の人間としては「どうしろと?」という感じですよ。

 

まあよくよく見解を見てみると、「全部ダメ」と書いてあるわけでもないんですけど、テレビ局にとってみれば、BPOという組織自体がコワすぎて、まるで思想裁判所のようになっているわけです。「審議入り」になっただけで、平気で番組が終了したりしますからね。

たしかに、「どつきツッコミ」の(現役)第一人者である『ダウンタウン』の浜田雅功さんも、相方や共演者を “どつく” 回数がここ数年、なんとなく減ってきている気がする。正統的などつき漫才で2021年度の『M-1』を制覇した『錦鯉』のツッコミ担当である渡辺隆さんも、ボケ担当の長谷川雅紀さんのスキンヘッドを ぺちんと “叩く” 際は、まず叩いてから、なんとなく撫でるようなスナップを微妙に利かせている……気がしなくもない? 大晦日恒例の『絶対に笑ってはいけない』シリーズも「罰ゲーム」のケツバットのせいか、なんとなく終わったっぽくなってるし……。

 

よくよく振り返ってみると、先述した私らが制作した「ヤバい袋綴じ企画」も、誌面をおどっていた数々のパワーワード(?)のどれが、いつから「アウト」になったのかは、イマイチ判然としない。ただ “なんとなく” ……いつの間にか「ヤバい」の範疇にカテゴライズされ、たまたま数十年後に目の当たりにしたとき、その「ヤバさ」が際立ってしまっているだけなのだ。

 

こういったコンプライアンス重視の風潮が年々(曖昧なかたちで)過剰度を増していくことに対して、一文筆家として抗うつもりは、さらさらない。「昔は良かった……」みたいな懐古主義的感情は、まだまだ引退はしたくない “職人” からすれば、もっとも抱いてはいけない想いであることもわかっている。が、 “制作側” の「忖度」に丸投げするのではなく、せめて「どこまでがオッケーでどこからがアウトなのか」の、もう少々明確な基準を、BPOさん……我々文筆家だと版元さんが、断固たる姿勢で示していただけたら、ありがたい。

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